2018年8月30日木曜日

時間泥棒に遭わず人生を有意義に過ごす秘訣


あと二日で9月です。
今年ももう3分の2が過ぎてしまったというわけですね。

本当に一年が早いです。
こういうこと言うと、おじさんっぽいと言われてしまいますが、そう感じるのだから仕方ない。
ついこないだ正月だった気がするのに。
そして去年も同じこと言っていた気がします。

歳をとるごとに一日が、一年が早く感じるというのは、私なりに納得できそうな理屈はあります。
(以前にもブログで書いた気がするし、セミナーや研修でも雑談でよく話しているので手短に)

①長く生きるに比例して相対的に時間を短く感じる。
だってそうでしょう。
10歳の子供の1年は人生の10分の1なのに対して、
50歳の大人にとって1年は人生の50分の1ですから。
なので年を経るごとに時間間隔が短くなるのは当然なのでは。

②初体験が減る。
やはり人生の中で初めての体験というものは印象深いものです。
子供時代は色々なことが初体験です。
しかし成長するに従い、経験済みばかりになってゆきます。
ただ、本当は『似た出来事』なだけで毎日が初体験の連続なのですが、我々は似た経験を同じものとして処理してしまうという性質があります。
印象に残らない日々は思い出も少なく必然的に中身のない日々と感じるのかもしれません。

そんな二つの理由から、大人になると一年が(一日が)早い。
という不思議な感覚が説明できます。

あくまで私の考えた理論ですし、科学的な根拠はないのでドヤ顔で雑学披露に使わないでくださいね。

さて、そんな理由が大人になると感じる一年の速さの原因であるなら、
相対的な時間経過感覚のスピードは仕方ないとしても、
一日の中で新鮮な気持ちを持って生きていれば、いつも初体験を感じられ、毎日が印象深い充実した日々となるのではないでしょうか。

「まぁ、綺麗な野花」
「真っ赤な夕日が綺麗だなぁ」
なんてちょっとした感動を意識して探せば、無味簡素な一日に色がつくかもしれませんね。
どうせなら、嫌な印象よりも良い気分になれる印象の方が精神衛生上もいいでしょうし。
『よかった探し』をすることは人生を有意義に生きる秘訣かもしれません。

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2018年8月28日火曜日

危険運転の心理とその対策を心理学的に分析する


最近、危険運転の問題が話題になっています。
いくつかの事件もあり、あおり運転を始め、事故に繋がるような危ない運転の取り締まりが厳しくなっています。

一週間で1200件もの検挙があったそうで、これまであまり表面化されていなかった危険性がやっと問題視されてきたというのは喜ばしいことです。
でも、それだけの数の検挙数を考えると、今までは当たり前と思われていたことが急に厳しい罰則と共に違反になって戸惑っている人も多いのかもしれませんね。
逆にそんなに危ないのにこれまで見過ごされていたというのは恐ろしくあります。

私は愛知県住みです。
良くも悪くも『車の街』として有名ですから、車の話題にはやはり敏感になってしまいます。

昔から『車に乗ると性格が変わる』なんていう人は一定数いました。
何故なのでしょうね。

心理学的に考えるなら、
車に乗って性格が変わるのではなく、普段は抑圧されている性格傾向が車に乗ることで顕在化する。
と言えるのでしょう。

どうして車にはそのような働きがあるのでしょう。

①自分の周囲を車で囲まれることで、守られている気持ちになり、感情のブレーキが緩くなる。
本来人間はプライベートな環境では気持ち自由になり気が大きくなるものです。
『内弁慶』なんてまさにその典型です。
他者がたくさんいる外では周囲に気を使って大人しくても、自室では気兼ねなく我儘に振る舞えるものです。
そのプライベート空間を車が作ってくれているというわけです。
鉄の鎧とでも呼べるような要塞に守られているわけですから、そりゃ安心できるってもんです。
だから、車に乗ると自分が強くなったような気がして、我儘に自己主張ができるというわけです。

②車の運転中は緊張状態にあり、軽い興奮状態にあるということ。
運転をする時は、色々な危険に気を配らなければなりません。
前方との車間を気にして、後ろの車への合図も忘れず、隣の車線の車の動向にも注意する。
それに加えて、目まぐるしく変わる信号や状況に対応する必要があります。
更にいつ人が飛び出してくるかもしれないし、対向車線から車も突っ込んでくるかも……。
そんな危険な環境に身を置くとき、人は自覚はなくともストレス状態にあります。
人はストレス状態に陥ると、防衛手段として好戦的な精神状態になります。
これを緊急反応といいます。
なので、些細な事でイライラしたりしてしまうんですね。

これらの心理的要因が、危険運転に繋がります。
では、どうすればよいのでしょうか。

確かに、危険運転に落ちりやすい要因はありますが、それでも人には理性がありますし、そう簡単にタガは外れません。
しかし、ストレスや欲求など抑圧して溜めこんでいるものが大きければ大きいほど、理性を吹き飛ばしてしまうほどの大きな力となります。
つまり、車を運転する時の心理的要因という刺激を受けて、抑圧しているイライラや不満などが大暴れしてしまうという事です。

ならば答えは簡単。
イライラや不満などのストレスを溜めないことです。
多少刺激をされても、コントロール不能になってしまうほど大きく溜めこまなければ、落ち着いて安定した気持ちで運転ができるはずです。

「車に乗ると性格が荒くなってイライラしてしまう」
そんな心当たりがあるなら、おそらく自分では自覚していない、むしろできていない深い所で日頃ストレスを感じて我慢をしてしまっているのかもしれません。

ストレスは溜めてもいいことはないですよ。
現代社会、ストレスフリーな生活なんて無理かもしれませんが、出来る範囲で処理したり軽減することは、自分や周囲を守るために必要なことです。

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2018年8月27日月曜日

健全なる精神は健全なる肉体に宿るのか?


ジャカルタでアジア大会が行われており、テレビでも連日放映されていますね。
2年後のオリンピックもそうですが、こういった大会が行われると普段あまり知る機会のない競技を見れてとても面白いです。
『にわか』と言われても仕方のない姿勢ですが、まぁそんな感じで大きなイベントだけ盛り上がるという人も多いのではなでしょうかね。

というわけでスポーツの話題ですが、今年は高校野球も100回目の大会だそうで盛り上がっていますね。
球児へのインタビューを見ていると、高校生なのにしっかりとした受け答えができて
「ほえー、凄いなぁ」などと思います。

「やっぱりスポーツやってる子はちゃんとしてるもんだね」
なんて無責任に、『スポーツ=健全さ』のイメージを感じてしまいます。

野球だけに限らず、スポーツ選手というのは品性も備わっていると信じがちです。
(最近スポーツ選手の買春問題なんかも問題になりましたしね)

そんな先入観の原因として、この言葉があるのではないでしょうか。

『健全なる精神は健全なる肉体に宿る』

体育会系の指導ではよく使用されてきた言葉だそうです。
ですが、実はこの言葉は誤用されているという事実をご存知でしたか?

この言葉は、古代ローマ時代の詩人ユウェナリス(デキムス・ユニウス・ユウェナリス)の風刺詩に登場する言葉で、
本来は「健やかな身体に健やかな魂が願われるべきである」とされており、

神に願うなら欲張らずに、過ぎた願いを持たずに慎ましく体と心の健康だけを願うくらいにしておきなさい

そんな意味なのだそうです。

または、
体が健康なら心も健全であればいのに、なかなかそう上手くはいかないものだね。
と当時を皮肉った風刺であるという説もあるそうです。

とにかく、体が健全な人は心も健全である、という意味ではないようです
間違っても、体を鍛えない人は心も健全ではない、なんていう意味はありません。

考えてみればそうですよね。
体に怪我や障碍があっても健全な精神を持った人もいますし、
その逆も然りです。

健康な体と健康な心。
確かにその二つさえあれば他に望むものなんてないかもしれませんね。

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2018年8月26日日曜日

発達障害になりたい人が増えているとか


いかにも現代らしいと感じた、興味深い記事がありました。

『「あなたは発達障害です」と言ってほしい女性たち…完璧主義の生きづらさ』(クリックで記事へ飛べます)

記事の中で精神科医の香山リカ先生も仰っていますが、自ら発達障害を疑う相談者さん、確かに私も臨床の現場で増えたと感じます。

とはいえ、発達障害だけではないんですけどね。
メディアで目新しい疾患名や新語が取り上げられると、その言葉を持ち出す方は多いものです。
『コミュ症(コミュニケーション障害)』『毒親』『適応障害』『パニック障害』
などを最近はよく耳にします。

「わたし、○○じゃないかと思うんですよ。調べてみたら当てはまる特徴が多くて……」

カウンセリングでそんな訴えをされる方は増えるというのは、色々な情報が手軽に見聞きできるようになった現代らしい傾向ですね。

悪いことではないと思います。
一昔前は、精神障害関連はタブーにされることも多かったので、一般にはその実態が伝わらず、その結果過剰な差別意識を生んでいたのも事実ですしね。

近年、精神疾患の罹患数が増えていると言われていますが、
個人的には昔も同程度の数はいたけど診断を受ける機会が少なかったのではないかと思うんですよね。『精神科』に対する偏見も今よりずっとありましたし。
なので、一般的にも浸透して、診断の機会が増えるのはとてもいいことだと思います。

ですが、一つ危惧することがあります。

あくまで、診断されることで適切な治療を受けることが目的であるなら、私としては大賛成です。
しかし、診断名(病名)をつけてもらうことが目的になっているのではないか、という場合です。

これは大きな違いがあります。
確かに、自分の抱える悩みやコンプレックスに、やむを得ない理由や根拠があると安心できるでしょう。
少なくとも、「自分の努力不足」という自責の気持ちは払しょくされるかもしれません。
しかし、それでは「納得できて一時的に安心した」だけで「問題が解決した」わけではありません。

実際私のルームでもこんなことがありました。
ある相談者さんが、当時はやった書籍『片づけられない女』を読んで自分もADHDなのでは? と疑いを持ち診断を受けたところ、見事(?)思った通りの診断名が付きました。
そのことを嬉しそうに私に報告してくれました。
「よかった。私のせいじゃなかったんだ。もうカウンセリングは終わりにします」
そう言って終結したかに思われました。
ところが数か月後、その方から再び予約が入りました。
「障害のせいだというのはわかったけど、問題は何も解決しないままなので困ってます」
そんな経緯でカウンセリングを再開したことがあります。
(このエピソードは細部は変えてあります)

『原因の特定』と『解決』は別物です。
違う言い方をするなら、
『誰が(何が)悪いかが判明しても、問題解決にはならないことが多い』
という事です。

心理カウンセリングは医療ではありませんので、診断をすることは許されていません。
だからこそ我々は、悩みを解決することを目的として関わらさせて頂いています。

診断が必要な場合は病院をご紹介しますが、
解決に向かって一緒に取り組んでいくパートナーとしてカウンセラーを頼ってください。

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