2023年4月6日木曜日

あえて曖昧さを残す優しさ



まだ4月に入ったばかりですが、暖かい日が多かったことや雨が降ったもこともあり、桜の見どころはもう過ぎてしまった感じですかね。

今年のお花見シーズンは、数年ぶりに集まってお花見を楽しんだ方も多かったのではないでしょうか。

それもそのはず。
新型コロナウイルスも5類に移行されたことで規制も緩和されつつあり、街にも人が増えてきました。
外遊びや外食が好きな方には嬉しい変化なのではないでしょうか。

とはいえ感染者数は増加傾向にもあり、引き続き感染症対策には気はつけたいものです。

そんなこの話題になると、挙げられるのがマスクのルール。
厚生労働省の専門家会合の見解としては『その場に応じたマスクの着用』という指針が示されました。

ある意味、自主性や個人の判断に任せた適正なルールではあると思うのですが、こういった曖昧さを含んだルールを特に日本人は苦手とするように感じます。
『右へ倣え』ではないですが「一律に同じであるべき」という、よく言えば『協調性』とでも申しましょうか。

マスクに関して言えば、常に着用するかしないかと極端にルール化するのではなく、TPOによって臨機応変で良しとなっているわけで、それこそ個人差があっていいはずです。
例えば風邪っぽいとか、疲れて免疫が落ちているかもしれない時とか、持病を持った方や高齢者が近くにいる時とか、単純に人混みや室内ではマスク着用する、といったように。

もちろん個人の判断に完璧は期待できないので、周囲の意見や様子を判断材料にすることも必要でしょうね。

そういった臨機応変さを度外視してマスクルールを金科玉条にしようとする心理には、決断の責任からの逃避や、他責による愉悦なども混在しているケースもあるのではないかとも感じます。

そしてこれは個人の日常的な悩みにも起き得ることです。
自分に課す厳格なルールは、強い信念としては物事の達成には大切ですが、何にでも広く適用しようとすると、窮屈になったりトラブルの基になります。

『二極化思考』というものがあります。
これは非理性的信念の一つであり『全てか無か』『0か100か』とも呼ばれますが、要するに「〇〇でなければならない」「〇〇であるべきだ」と完璧主義も度が過ぎると、自分や他人に対して懲罰的になってしまいがちになります。

自分の人生ですから、どうしても譲れない所は苦労してでも貫くというのは、その人のポリシーや拠り所として大事なことかもしれません。
ですがそれ以外の所には、多少の柔軟な捉え方も大事なのではないでしょうか。

大雑把でいい加減になることを推奨しているわけではないですが、どうしたって人間は完璧たり得る存在ではありませんので、適度に余裕やゆとりを持って不完全を許容することも人間らしくてよいのではないかと思います。

そしてなにより、自分が生き辛さや日常に困難を感じているのなら、その原因かもしれない「〇〇でなければならない」を見直してみてもいいかもしれません。


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