2014年11月29日土曜日

花で癒しを

少し前に友人からお花をいただきました。
サプライズで突然送られてきたのでびっくり。
しかもその量にも二度びっくり。

そんな大量のお花が収まる花瓶がなかったので
家中の花瓶や花瓶になりそうなものを総動員。
各部屋ごとに小分けにしたお花が、しばしの間家中をいい香りに包んでくれました。
写真はそのうちのひとつです。



花や植物は心を癒してくれる効果があります。
フラワーセラピーと呼ばれる芸術療法では、
自分でアレンジした花から心理分析ができ、なおかつアレンジメントする行為そのものも癒やし効果があります。

もっと直接的には、園芸活動自体が癒やしの効果があるとして、園芸療法というのもアメリカや北欧ではセラピーのひとつとして確立されています。

自然の植物に触れることで、またそれを通して人の心を安定させたり心理状態を映しだしたり。
現代では積極的に動かないとなかなか自然に触れる機会は少ないですが、
だからこそ自然と触れ合う時間や機会を大切にしたいですね。

お花をくれたみなさん、本当にありがとうございました。
たっぷり癒やされました。


2014年11月28日金曜日

海外ドラマ『Dr.HOUSE』

今日はなんとなく近所のレンタルビデオ屋にいって数本レンタルしてきました。
その中の一本。『Dr.HOUSE』(ドクター・ハウス)というアメリカドラマなのですが、これが結構面白い。
あらすじとしては

診断医としての評価は高いが一匹狼で捻くれ者のハウスとそのチームが、他の医師が解明出来なかった病の原因をそれぞれ専門分野の能力や個性を生かして突き止めていく姿を描く医療ドラマ。
(Wikipedia抜粋)


というのもで、診断医・ハウスの病因特定に至るまでのプロセスが見ていてワクワクと驚きを楽しめます。
僕は「精神分析」をメインの手法とするカウンセラーではないので、クライエントの症状や語る内容から推測したりすることはさほど多くはないのですが、やはり臨床の現場でカウンセリングをしていると、クライエントの状態を推測することも必要になります。これを精神分析では「解釈」などといいますが。

さて、ドラマの中には患者自身が原因を語らないがゆえに特定が困難なケースも多く、それもひとつのテーマとなっており、ハウスの口癖の一つにこんなものがります。
「人は誰しも嘘をつく」

これ、偶然なんですけれども僕もカウンセリングの中でよく思うことなんです。
とはいえ、誤解しないでください。
僕がカウンセラーとしてクライエントを信用していないとかそういった意味ではありません。
クライエント自身が間違った思い込みや、自身の状態を正確に判断できていないがゆえにカウンセラーに対して事実ではない内容を語ることは決して少なくありません。
というより、自分自身に正直にいれず嘘をついてしまっている状態こそが、精神的な不具合の要因となる場合もたくさんあります。

なので、クライエントの語る内容を僕は受け止めます。しかし、鵜呑みにはしません。
しっかり話を聞いていき、疑問に感じたことは尋ねますし、矛盾を感じたら指摘することもあります。
そういったコミュニケーションを通じて、クライエントは自分の本当の気持ちに気づいていく。
カウンセラーが真実を知ってすっきりとか、嘘を暴いてやったぞなんてことが目的ではなく、
あくまでクライエントが本当の気持ちや事実に気づいてもらうことが大切なのです。
そのお手伝いをすることこそがカウンセリングの中では重要だと考えています。

ところで、アメリカなど海外の映画やドラマを見ていると、日常的な場面で日本との常識の違いに気づくことがよくあります。
そういった多様性的なものも感じながら見ると、海外の作品というのはまた違った面白さもありますね。







2014年11月26日水曜日

目出鯛

お義父さんから鯛をいただきました。
釣りが趣味なのですが、家族は残念ながら魚がさほど好きではないそうです。
「鯛を釣ったから、めでたいのであげるよ」
僕は魚が好きなので喜んでいただきました。

ということで、鯛のカルパッチョとあら汁。


















カルパッチョはオリーブピルとレモンだけでシンプル味付け。
あら汁はちょっとお顔が怖いですが出汁たっぷりで大満足。

この世の全ての食材に感謝をこめて、いただきます!
(BY トリコ)


2014年11月25日火曜日

放置からの帰還

随分と長いこと放置してしまいました。
理由は、公私共に忙しくてこのプライベートブログにまで手が回らなかったというのが半分。
残りの半分は、しばらく放置してある日自分のブログを見ようとしたら『ページが表示できません』の表示。
これは更新していなかったせいか、はたまた無自覚に何か不適切な記事でもあげてしまっていたのかと、疑問に思いつつ諦めてしまっていました。

それから更に数カ月して、知り合いとこんなやり取りが。
「最近ブログ全然更新してないね」
「あれね、削除されちゃったみたいで」
「え?普通にあるよ?昨日も見たもの」

確認してみると確かに復活してました。
一時的に閲覧できなくなっていただけのようです。

気付かせてくれてありがと―!

というわけで身の回りも少し落ち着いたのでまた復活です。

しかし、こういった情報発信ツールというのは面白いもので。
本人の預かり知らぬところで誰かに見られているという事が、面白くもあり怖くもあり。

アクセス数解析という、どれだけの人がブログに訪問したかがわかる機能がありますが、
明らかにこのブログの存在を教えた人の数よりも多くの人が一日のうちに訪問している事なんてよくあります。
こちらからは姿の見えない訪問者は、どのようにたどり着いて、何を思って僕の個人ブログを見ているのでしょうね。

どこかから僕を観察している僕の知らない観察者がいるわけです。
『観察者効果』というのは、科学から物理学、量子物理学、社会学などさまざまな学問で色々な意味を持って使用されている言葉です。

僕が哲学を専攻していた学生だった頃、その教授がこんな問いかけをしました。

「無人島で木が倒れた時、音はすると思うかい?」

面白いですよね。音というのはその音を聞く(鼓膜の振動として刺激を受ける)対象がいなくても発生するのか。
という事だと理解しているのですが、これは様々な事にも言えると思います。

観測されて初めて存在する。
人の心も同じなのではないかと思います。