随分と長いこと放置してしまいました。
理由は、公私共に忙しくてこのプライベートブログにまで手が回らなかったというのが半分。
残りの半分は、しばらく放置してある日自分のブログを見ようとしたら『ページが表示できません』の表示。
これは更新していなかったせいか、はたまた無自覚に何か不適切な記事でもあげてしまっていたのかと、疑問に思いつつ諦めてしまっていました。
それから更に数カ月して、知り合いとこんなやり取りが。
「最近ブログ全然更新してないね」
「あれね、削除されちゃったみたいで」
「え?普通にあるよ?昨日も見たもの」
確認してみると確かに復活してました。
一時的に閲覧できなくなっていただけのようです。
気付かせてくれてありがと―!
というわけで身の回りも少し落ち着いたのでまた復活です。
しかし、こういった情報発信ツールというのは面白いもので。
本人の預かり知らぬところで誰かに見られているという事が、面白くもあり怖くもあり。
アクセス数解析という、どれだけの人がブログに訪問したかがわかる機能がありますが、
明らかにこのブログの存在を教えた人の数よりも多くの人が一日のうちに訪問している事なんてよくあります。
こちらからは姿の見えない訪問者は、どのようにたどり着いて、何を思って僕の個人ブログを見ているのでしょうね。
どこかから僕を観察している僕の知らない観察者がいるわけです。
『観察者効果』というのは、科学から物理学、量子物理学、社会学などさまざまな学問で色々な意味を持って使用されている言葉です。
僕が哲学を専攻していた学生だった頃、その教授がこんな問いかけをしました。
「無人島で木が倒れた時、音はすると思うかい?」
面白いですよね。音というのはその音を聞く(鼓膜の振動として刺激を受ける)対象がいなくても発生するのか。
という事だと理解しているのですが、これは様々な事にも言えると思います。
観測されて初めて存在する。
人の心も同じなのではないかと思います。