一部都道府県に発出されている緊急事態宣言の期間延長が決定してしまいましたね。
この状況にストレスを感じている方も少なくないようです。
『コロナ疲れ』というワードは、本来のコロナウイルスの感染症という脅威ではない所にも我々に影響を及ぼしているという意味で象徴的な言葉に思えます。
一つの要因として、一体いつまでこの状況が続くのか、そして緊急事態宣言下でどのような行動をとるべきなのか、それが明確に分からないというストレスがあります。
人は、先が見えない、具体的な方法が提示されていない、現状の説明がなされない、そんな状況に対して不安や焦りを感じやすい傾向があります。
要するに、『よくわからない』ということ自体が不安を感じてしまうのです。
逆に、自分の予想通りに事が運んでいたり、経験したことのある事態にはある程度安心して望めます。
経験あるのではないでしょうか。
仕事でトラブルに見舞われた時、それが大きなトラブルだったとしても以前に経験したことがあれば落ち着いて対処ができるが、小さなトラブルでも未経験の事態には必要以上に焦ってしまうこと。
『知っている』『理解ってる』というのはそれだけで安心材料となり、『知らない』『どうすればいいかわからない』というまさに今のコロナ過という未体験の非常事態は我々にとって非常に大きな不安となっていると思われます。
では、我々はせめて心の安定をどのように図ればよいのでしょうか。
ヒントは、自分で基準を決めること。
国から一定のガイドラインは発表されているものの、日々の行動を一つ一つ指示してくれるほど丁寧なものではありません。
「不要不急の基準って何だろう?」
「マスクを外していい場所ってどこまでなら許されるのかな」
そんな感染予防や自粛の基準に悩んだこともあるのではないかと思います。
一律のルールを決めてくれれば悩まなくて楽なのかもしれませんが、生活様式は人それぞれですからそれは無理なのでしょうね。
なので、はっきりとした基準が提示されていない部分に関しては、個人で基準のラインを決めてしまうことで、
『どうしよう』を『こうしよう』にしてしまうということです。
とはいえ、社会は自分一人ではないので、あなたのOKをNOと判断する人もいるでしょう。
その時は固執し過ぎずに、必要があれば柔軟に周囲の意見も取り入れてまた新たな基準を作ればよいのです。
大切なのは『自分で決める』こと。
そうすることで、自分のとるべき行動がずいぶん明確になるのではないかと思われます。
そうすれば逆に、曖昧な状態を受け入れるというのも可能になります。
流動的で正解のない状況に対して柔軟に任せるスタンスだとしても、否応なしにそうせざるを得なくて流されるのではなく、自分で曖昧であることを選択するのであれば、その時その時で状況に応じた行動が選択できるようになります。
これはコロナ過でなくとも、自分の思い通りにならない社会の中でも結構重要な上手な生き方なのかもしれませんね。
どちらにせよ『自分で決める』ことは余計なストレスを受けずに自分の安定を維持して生きてゆく為には必要なものとなります。
自己を統制できる感覚というのは、対人関係でも重要な要因となりますし、自尊感情にも関わるものです。
自分で決めることができるからこそ柔軟な思考も可能になり、自身の能力を発揮する動機にもなります。
どうすることが正解なのか明確な答えがない今だからこそ、自分の行動を自分で決める力が求められるのかもしれません。