2019年10月30日水曜日

いじめ問題について

相談援助の仕事をしていると、いじめという問題を扱う機会は少なくありません。
現在進行形での児童のケースもあれば、成人した相談者さんでも過去のいじめ経験がテーマとして挙がることもあります。

ですので、いじめについてはその実態や心の傷の癒し方など、いわゆる心理面へのアプローチには備えてきていたのですが、最近増えたお仕事の関係で、『いじめ防止・対策』についての公的な知識が必要となり、改めて勉強をしています。

そこで、学校など教育機関に対して関連行政が出している基本指針や要綱に目を通していたのですが、公的に期待されている対応がどのようなものか、を知るにつれ現実とのギャップを感じます。
つまり、
本来行うべきことが行われていない。
いじめの防止・対策に有用とされる対応がとられていない。
ということです。

勿論、全ての学校を始め教育機関がそうというわけではありません。
実際これまでも私が関わらせて頂いた学校には、適切な対応に則って動いていたところもありました。
ですが、昨今の報道などで明るみに出る事例も考えると、やはり理想と現実の剥離の大きさを感じざるを得ません。

最近では特に、教員間でのいじめも問題となりました。
(いじめではなく暴行事件として取り扱われる可能性も高まっているようですが)
本来児童たちの模範として、いじめについての正しい指導をするべき存在の教員自らが行っていたというのは、あってはならないことです。
しかも、加害教員の中には、教育指導や生活指導を担当する教員もいたにも関わらず、
「いじめの意識はなかった」「悪気はなかった」「面白かったから」
などと話しているそうで、いじめの加害者の言葉そのままです。
そのような意識を指導することが役割であったはずなのに。

他にも、いじめの事実隠匿なども後を絶たないことも、いじめ対策のガイドラインが現場へ反映されていない例でしょう。
とはいえ、現場では対策・防止マニュアル通りに進められない事情があることも、社会の難しさを知る者としては察せなくはありません。
複雑な問題が混在し、なかなか思うように理想的な対応ができない現実もあるのでしょう。

ですが、だからと言ってこのままでよいわけではありません。
いじめという経験が当事者である児童にとってどれほど辛いものであるか。
そして過去のこととなっても苦しみ続ける声を、カウンセリングの現場で幾度も目にするにつれ、どれほど人生に深い影を落とすものであるのか知る立場である私としては、対処療法ではなく根絶に協力する必要があることを感じます。

学校という閉鎖された空間はとても複雑です。
だからこそ、外部の人間として、第三者だからできることがあると思っています。
いじめ問題は、被害者・加害者共に心のケアが必要となります。
心理の専門家として、起きてしまったことに対する心のケアは勿論ですが、起きてしまうことを未然に防ぐ為の努力も惜しまず注がれてゆくことが必要です。

何ができるのか、何が求められていて、何が必要なのか。
しっかり吟味し、工夫し、実行に移して、客観的に振り返る。
多職種がそれぞれ協力し合い、本気で取り組んでゆかなければいけない大切な課題です。


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