先日1月10日は成人の日ということで、この前後で各地で成人式が行われていましたね。
私などはもう20年も前のことなので新成人の時の気持ちは遠い昔ですが、一般的に成人式とは子供から大人に移行する為の儀式の一つとして位置づけられています。
来年からは18歳以上が成人の対象になるとのことで、また捉え方も変わってくるのかもしれませんが。
とはいえ、成人式を迎えたから大人になるというのはあくまで法的なものであり、精神的な成人というのはまた別の儀式や過程が必要なのだと思います。
人の一生を段階的に分けるという考え方は心理学ではいくつかあり、生涯発達論ならば成人後も壮年期や老年期などいくつも段階があるわけで、人は一生何かしらの発達段階を経験してゆくと考えられます。
大人と子供という話に戻しましょう。
成人という概念が社会的なものだけでなく精神的な自立も意味するのであれば、それはやはり自動的に二十歳もしくは18歳になったからといって自然に達成できるわけではありません。
例えば、母子分離は本来6歳辺りで迎え、それまで母子一体であった親と自分の違いを自覚して自己を確立してゆくわけですが、あくまでそれは年齢的な目安でしかなく、社会的に自立した大人であっても母子分離という課題が厳密にはクリアできずに不具合を感じる人も少なくはありません。
身体的・社会的とは違って精神的な発達は、身体年齢ではなく今現在の自身の発達段階を明確に自覚することが大事になるのでしょう。
余談ですが、発達段階で有名なピアジェの発達理論では11歳以降で『形式的操作期』という論理的思考に加えて抽象的思考が可能になるとしていますが、ピアジェ本人が実際はその段階に至れていない大人も多いと言っていた記憶があります。
社会生活の中で何かしら自分がクリアできていない課題によって不具合が起きているなら、自身の発達段階を自覚することによって次の段階に至るにはどのような課題を達成することが必要なのか、というように自分の等身大の課題を明確にすることで本当の意味での大人であり精神的な成熟が得られるのではないかと思います。
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