昨日、マンションのドア付近にヤモリが死んでいました。
夏が近くなるとうちのマンションには壁にヤモリを時々見かけていたので、
「あ、いつもこの辺りにいたやつかな」
そう思って庭の土に埋葬しました。
ヤモリって爬虫類なので苦手な人多いかもしれませんが、よく見ると愛嬌があるんですよ。
目なんて正露丸みたいだし。
日本ではヤモリが住む家には悪いことがおきないと言われたり、
東南アジアでは、赤ちゃんが生まれるときにヤモリが鳴いていると、その子は幸せになるという話もあるそうです。
そしてなんといっても虫を食べてくれる。
僕の最大の敵である、あの黒くてカサカサ走る長い触覚のGで始まる名前のアイツも食べてくれるそうです。
そんな愛するヤモリですから、コンクリの上でゴミのように処理されるのはしのびないということで、
せめて土に還ればと思い埋葬しました。
さて、人の死を悼む、死者を弔うというのは動物では人間だけの特殊な行動と言われています。
(個人的には、人間だけでなく仲間の死や主人の死を悲しむ動物は他にもいるとは思いますが)
一節では、人は知能を持つと同時に『死の概念』を持つに至ったとか。
人は、親しい人や愛する人と死別した時、大きな試練を強いられます。
大切な人を亡くした喪失感はとても大きなものです。
そんな、死を乗り越えるための心理学的な対処法を『グリーフワーク』といいます。
日本語では『喪の作業(仕事)』などとも言われ、個人的なカウンセリングだけでなく遺族同士の自助グループなどでも行われています。
例えば、『葬式(葬儀)』。
これも、グリーフワークの一種と考えられます。
亡くなった人の冥福を祈るために行われる祭儀として認知されていますが、
残された人たちが、人の死を受け止めるために行われる儀式としての一面もあると考えられます。
我々は生きていく上で、身近な人の死を経験しないですむことは難しいでしょう。
誰にでも訪れる可能性のある、死という喪失。
カウンセリングの現場でも、身近な人の死というテーマは多く扱ってきました。
それに対して有効なのが、感情の解放。
悲しみ、嘆き、中には怒りなど、身近な人の死には様々な感情が沸き起こります。
感情を解放するというのは思っている以上に難しく、それが我々の心の整理を邪魔することは以外に多いのです。
死を受け入れるということは、人生の中で大きなテーマとなっていくと感じます。