2016年3月23日水曜日

虐待という社会問題に対して


虐待のニュースが続いている印象です。
勿論、ニュースとして取り上げられている、というだけで我々の知る由のない事件は残念なことに常日頃から起きているのでしょう。
そんな虐待、防止や対策は行われているのでしょうが、
なかなか対応は難しいというのが現状なようです。
カウンセリングの場でも、現在進行形の虐待がテーマとなることもあれば、
過去の虐待によって人生に大きな傷を受けたという方のテーマも少なくありません。

虐待に至る精神状態やその経緯は、心理の知識で説明することはできますが、
分析や研究をすることよりも、最前線の現場では心の傷をケアしていくことが求められます。
本当はもっと防止や、そうならないための対策にこそ労力を割くべきだと思うのですが、
構造的な難しさに我々もやり場のない気持ちに苦心しています。

虐待というと、最近ではネグレクト(育児放棄)も増えていますが、
ここ数日のニュースでは、直接的な暴力による虐待が目立っています。

個人的な意見としまして、
『体罰』という方法を私は完全には否定はしていません。
勘違いしないでくださいね。
体罰というと、=暴力というイメージがあるので誤解されがちですが、
躾や指導を目的とした、『体への罰』という意味では、行き過ぎなければ効果的な時もあると考えます。
「体で覚える」というのはスポーツや専門技術では珍しことではないでしょうし。
しかし、ここで決して混同してはいけないことがあります。

それは、『怒る』と『叱る』の違い。

『怒る』とは、あくまで自分の個人的な感情を相手にぶつける行為です。
相手に対して、個人的に感じた怒りを自分で処理できずに行っている自分の為の行為です。

『叱る』とは、個人的な感情でなく、指導や躾、または矯正を目的とした理性的な行為です。
相手の改善を願い、そのための手段として選択される、自分の責任を自分で取れる、相手の為の行為です。

多くの場合、虐待で行われる行為は、『怒り』をぶつけているに過ぎません。
決して、行き過ぎた躾の結果に虐待には至りません
そもそもの本質が、出発点が違うのですから。

大人だって、親だって『怒り』を感じることもあるでしょう。
しかし、それを自覚せずに誰かにぶつけることで気持ちを処理しようとしているなら、
それは、大人であり親として未成熟と言わざるを得ません。

自分の気持ちは自分で処理する。
むしろ、自分の気持ちは自分でしか処理できません。
その方法を身につける。心を本当の意味で成熟させる。
それこそが、虐待を根本的に解決するただ一つの方法だと、私は思っています。


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