今日、友人と話していて脈絡もなくこんな質問をされました。
「あなたにとって道ってどんなもの?」
面白い質問だとは思いましたが、真意もわからなかったので冗談交じりに返していると、いつの間
にか笑い話になってちゃんと答えを出さないままその話題は終わりました。
なにせ友人相手ですし、カウンセリングというわけでもないのでまぁそういうこともあります。
その日の帰り道に、道を歩きながら改めてその質問を反芻してみたのですが。
『道』と言われて思いつくのは、『境界』『区別する境目』。
歩道 と 車道 とか、
ここは人の歩く道で、そっちは車の走る道ですよ、と棲み分けるためのもの?
人の道だってそう。
道徳的な意味でも、そこから外れたらそれは外道という道です。
武道だってそう。
空手道は空手を学ぶための道で、剣道は剣を学ぶための道。
棲み分けです。
そこでふと思いました。
自分は今『何道』を歩んでいるのだろう、と。
かつて歩んでいた空手道は、今はもう歩んではいませんし。
元々空手道に邁進したといえるほど熱心に取り組めていたわけでもないですが。
カウンセリング道? カウンセラーとしての道?
それはたしかに歩んでいます。
しかし、それだけかと言われればそうでもない。
カウンセラー道だけに邁進して人の道を無視している自覚はないですし。
空手道を歩んでいる人が同時に剣道を学んだっていいわけですし、更に柔の道だって同時に歩むことは可能でしょう。
ということは、人は同時に複数の道を歩んでいるのかと思います。
そして、その歩んでいる道がその人の属性を表現するための印となるかと。
「私はこのような人間ですよ」と人となりを表すものがその人の歩む道に現れるものではないのでしょうか。
そういえば道は英語でロード(Road)。
しかし lord と綴ると、王とか支配者などを意味する単語でもあった気がします。
自分の人生は自分で決める、というのは自分の歩む道は自分で決めるということと通じます。
自分の人生の王ですか……悪い響きじゃないですね。たるみでした。
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教材用のカウンセリングDVD制作を計画しています。
つきまして、ボランティアでクライエント役をして頂ける方を募集しています。
興味のある方は下記宛先『名古屋 栄カウンセリング』までメールでのご連絡お待ちしています。
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