2014年12月30日火曜日

帰省中。15年前と今

今日は一日、年越しの準備でした。
まず朝から掃除を。普段は手を付けないような家電や台所周りを中心に。一年分の汚れを落としました。

そして買い物へ。年末年始は親戚が来たりもするので食材を買い込みます。重いものや嵩張るものも今日は車なので気にせず買えます。
こういう小さなことですが、普段は離れたところに住んでいる僕からすると親孝行になればいいなと。

ところで実家近くのスーパー(イオン)は年末だというのに空いていました。
数年前に少し離れたところに大きなスーパーが新しく出来たんですよね。まぁ、それもイオンなんですが、イオンモールなわけで。
どうやらお客さんはそっちに流れてしまっているのかなぁ……なんて。
僕が子供の頃は年末なんてすごい人混みだったのになぁ、と少し寂しく感じました。

人も変わるし時代も変わる。
わかってはいるし悪いことばかりではないのですが、やはり切なくもありますね。

あ、明日名古屋に帰りますね。





2014年12月29日月曜日

帰省中。庭掃除

実家の庭周りの掃除をしていました。
無駄に庭が広く、雑草を放っておくと数ヶ月でジャングル状態に。
庭木を刈り込んで雑草を抜いて、プロには及ばないまでもスッキリしました。

慣れない作業で腰が痛い……。
作業半ばで竹箒が折れるというハプニング。

車も洗車して、気持ちよく新年を迎える準備が整ってきました。

2014年12月28日日曜日

帰省中

昨日は高校時代からの友人と、毎年恒例になっている忘年会&新年会でした。
飲んで、食べて、喋って。
気がつけばもう終電もない時間。
もういい大人なのに羽目をはずして楽しみました。

面白いもので、何年経っても高校の頃の友人と会うと、高校生の頃の自分に戻ってはしゃいでしまいます。
でも、話している内容は仕事の話や家庭、子供の事などすっかり大人の話題です。

高校生みたいにはしゃいでいるおじさん。
本人にとっては年に一度の楽しいイベントです。

ちなみに今日の京都は一日雨でした。

2014年12月27日土曜日

仕事納め

今日は講師の仕事の今年の仕事納めでした。
普段お世話になっている講義室の掃除をしていると、
まだ移転して数ヶ月にもかかわらず、もう沢山の思い出があることに気付かされます。

思い出は一日一日作られていきますが、振り返る機会がないとなかなかそれを実感できないもの。
これから年末にかけて、少しのんびりしつつ
今年一年を振り返ろうかと思います。

明日から京都の実家に帰省します。
親孝行してきますね。


2014年12月24日水曜日

いつもとちょっと違う街

今日はクリスマス・イブ。
仕事の帰りに少し名古屋の街を歩くと、

幸せそうに手をつないで歩くカップル
仲間たちとサンタのコスプレで盛り上がる若者たち
子供が大きなトイザらスの袋を持ってはしゃいでいる親子
急いで閉店間際のお店に(おそらく)プレゼントを買いに走る人

いろんな人のいろんな人生のワンシーンに遭遇しました。
こんなふうに特別な日でなくても、みんな一人ひとりに人生があり
その瞬間を紡いで生きているのでしょうが、
なんだか今日はいろいろな人の人生に思いを馳せてしまいました。



街頭のクリスマスイルミネーションも本番ということでいつもより気合が入っている気がします。



2014年12月23日火曜日

理不尽な悩み -正直者は馬鹿を見る?- 

先日、東京駅が100周年ということでその記念に限定suicaが発売されるというニュースがありました。話題になったので知っている方も多いかと思いますが、その記念suicaの販売に朝から長蛇の列だったようです。
そこで一悶着あったようですね。なんでも、徹夜で並ぶことは禁止していたそうなのですが、実際は徹夜組で限定枚数のほとんどが売れてしまい、更にあまりの混乱から販売自体も中止するという顛末。

JR西日本からすると、以前にも別の記念suicaを販売した時には大きな混乱が見られなかったことから、今回も同様程度だろうと対策が甘かったようです。

さてこの話題ですが、買えなかった人たちからすると確かに納得いかないものがあるでしょう。
自分はルールを守って徹夜で並ばずに買いに来てみたら、ルールを守っていない人たちのやり方がまかり通っていたわけですから。ニュース映像で見た怒号はさすがにヒートアップし過ぎな印象も受けましたが、ものの価値は人それぞれ、本当に鉄道が好きでどうしても欲しかったのかもしれないですね。

さて、こういうこと、誰しも経験あるのではないでしょうか。
『正直者が馬鹿を見る』
とまではいいませんが、自分は決められたルールを守って生きているのに、ルールを守らない人に不利益を受けてしまうこと。

実際、カウンセリングをしていると対人関係の問題が多いのですが、その中には一方的な『被害者』と言っても差し支えないような対人関係の問題を語る方も少なくありません。
例えばこんな悩み

「職場のパワハラで精神的に辛い」
「ご近所に嫌な人がいて迷惑」
「いじめのターゲットにされた」

自分に落ち度がないのに起きてしまう問題というのもあります。
(勿論、カウンセリングはどちらか一方の言い分しか聞けない事がほとんどなので、その全てが善悪を明確に分けられるものではないのは前提ですが)

お伽話や物語なら、最後には正直者が得をするというのがお約束ですが、現実の世界では残念ながらそうはいかないのかもかもしれません。

だからといってそこで諦めてしまっては問題の解決には至りません。
残念ですが、正しいことだけが守られる世界ではないということを踏まえて、その人が少しでも現状をいい方向に変えられる方法を探していくのも、またひとつの問題解決です。

先の職場のパワハラの例だと、パワハラ自体をなくそうとする努力はひとつの解決法です。
それでもし、パワハラがなくならないとしたら……。
そこで思考停止してしまうのでなく、発想を変えてみます。

「パワハラをストレスに感じないためにはどのような方法があるか。」
「他にも、パワハラでたまったストレスをどのように発散して心を良い状態に保つか。」

そんな風に、現実を変えることだけでなく、変わらない現実への対処方法だって立派な問題の解決になります。
理不尽が多いこの世の中、悩みの解決も工夫が必要なのかもしれません。


追記
suika問題ですが、正式に希望者には全員に行き渡るように販売を再開するとか。
転売を目的としていた人などからすると大誤算でしょう。
やはり正直者は最後に報われるのかもしれませんね。




2014年12月21日日曜日

大雪。大丈夫でしたか?

全国的な大雪も少し落ち着いたようです。
名古屋は特に積もりましたよ。
12月にここまでの積雪は、名古屋生まれの方でもここ数年では珍しいとのことです。
これは今週木曜日の僕の職場からの景色。


この時期は街頭がクリスマスイルミネーションで装飾されているのですが、
そこにさらに雪化粧。
人工的なイルミネーションもいいですが、こういう自然の装飾もまたいいものですね。

この日も僕が講師をしているカウンセラー養成学校の講義があったのですが、
出席予定の学院生の皆さんは、一人も欠席することなく来てくれました。

学びの意欲に尊敬すら覚えます。
きっと良いカウンセラーになってくれるでしょう。




そしてコチラは垂水の自宅からの景色。
見事に"白"一色です。

田舎なので高いビルがなく遠くまで見渡せるのですが、まるで北国のよう。
生まれも育ちも街中だったもので、こういう景色は新鮮です。

思えば遠くへ来たもんだ。



2014年12月17日水曜日

どうにもならないこと

カウンセリングをしていると、クライエントさんから色々な悩みの相談を受けます。
その中で、ひとつのキーワードがあります。それは、
『どうにもならない』
その言葉は、多くのクライエントさんから発せられ、その人自身の人生に大きな暗い影を落としています。

「悩んだって仕方がない」
「もう今更悔やんでも仕方がない」
「こんな悩み、解決しようがない」

表現の仕方は様々ですが、皆さん『どうにもならない』ことに思い悩んでいます。
そんな悩みに対してカウンセリングは有効なのでしょうか?

答えは、有効です。
勿論、全ての悩みに対してというわけではないものの、決して解決できない悩みばかりではないものです。
もしかしたら、悩みを抱えている本人自身が『どうにもならない』と思い込んでしまっているだけで、実は解決策があるかもしれません。
自分ではどうしようもないことでも人に相談してみると
驚くほどシンプルな解決策があったり
悩みが悩みでなくなったり
誰かの協力があれば解決できることだったり
そんな変化が期待できます。
そしてカウンセリングとは、それらの方法を効率的に提供していきます。

僕の好きな考え方にこのようなものがあります。
『悩みとは、解決しようと思った時は既に解決している』
つまり、解決するために努力をしようと行動を起こすということは、解決への第一歩を歩み始めているということです。
自分一人で考えて、『どうにもならない』と思っていることがあれば、一度相談してみてください。

なせば大抵なんとかなる

いい言葉ですね。



2014年12月16日火曜日

傾聴の大切さ

今日も食レポからスタートです。
愛知県は高浜市にある、お豆腐専門店。
木造作りのアットホームな店内で食べられるのは絶品の豆腐料理。


季節のお野菜とともに素材の味を活かしたランチは、ヘルシーであり疲れた体にも優しい。
それなのにお腹いっぱいのボリューム。文句なしです。

隣に工房があるので出来立てのお豆腐は勿論のこと、
ドーナツや焼き菓子、ソフトクリームなどの販売もしています。

そんな豆腐ですが、最近では「豆腐メンタル」なる言葉があるようです。
メンタルが豆腐のように脆い。つまりは精神的に弱いことを指しているのだそうですが。

具体的には、プレッシャーに弱かったり、他人に何か指摘されるとすぐ落ち込んでしまったり。
誰しもそんな部分はあるのでしょうが、そんな性格のせいで生き辛さを感じている人もまた多いでしょうね。
実際カウンセリングではそういった相談も少なくありません。

そんな時、どのような対応が適切なのでしょう。
「気にしちゃダメだよ」
そんなふうに励ましたくなる人も多いのでは?
正論かもしれません。
実際、他人に少し怒られたくらいでは気にせずに図太く生きている人のほうが人生を楽しめているかもしれませんし、周りの人はさほど考えなしに人を傷つけるようなことを言ってしまうものです。

しかし、それが頭でわかっていても、心が納得出来ないから困っているからこそ、悩みとして打ち明けてくれているのではないでしょうか。
なら、適切な対応としてまずは、その人の想い、考え、気持ち、そしてどれほど辛く困っているのかを丁寧に聞いていくことでしょう。
「まだるっこしい、聞いてられるか」と短気な人ならいらいらしてしまうかもしれません。
しかし、相手の話を聞かずに自分の意見をぶつけるだけなら誰でもできることです。
心の専門家であるカウンセラーは、ともすれば遠回りかもしれませんが、その人に一番適切な方法を見つけるためにまずその人を知ることから初めます。

カウンセリングのアプローチには色々なやり方があります。
その中には、考え方のクセを議論して論破することでそのクセを変えるという方法もあります。
しかしそれでも、頭ごなしに否定して言い負かすのではなくて、やはりまずは話を聞いていくことが必要なのです。
『聞く』『傾聴』
基本中の基本ですが、それができるかできないかでカウンセラーとしての技量は大きく変わっていきます。


2014年12月15日月曜日

自分流・年の瀬の考え方

昨日から全国的に大寒波に見舞われているそうで、すっかり冬の寒さですね。

これからの季節はクリスマスやお正月などイベントが続きます。
特に年末は師走といわれるだけの事はあり、忙しく過ごされている方も多いのでないでしょうか。

毎年この時期のご相談にはある共通点を感じます

それは、「焦り」

年の瀬が近づき、なんとなく気分が逸(はや)ってしまって焦燥感を感じてしまう方が多いようです。

「一年を振り返っても全然成長できていない」
「今年の目標が達成できていない……」
「何も成さないまま今年が終わってしまう」

などの気持ちを語られる方が多いように感じます。
たしかに、もうすぐ今年も終わりだと考えると、やり残したことや今年中に終わらせておきたいことで落ち着かない気分になるのも無理もないかもしれませんね。

でも、焦る必要はないのではないでしょうか。
確かに、今年ももうすぐ終わりです。
しかし、だからといってなにが変わるというわけではない。
ほとんどの方はそうではないでしょうか?
ただ、暦の上で年が変わるだけです。
便宜上の暦に自分の人生のペースを合わせる必要はないのではないでしょうか。
更に逆に考えると、もうすぐ新しい年が始まるんだなぁとポジティブに考えることもできるわけですし。

「もうすぐ一年が終わる」という焦燥感に悩まされるより
「もうすぐ新しい一年が始まる」と期待感に心を弾ませる

残り少ない今年に執着して心を急かすよりも、新しい年に期待して胸を躍らせているほうが気分的に楽しく過ごせるのではないかな、と思います。
もし今年達成できなかった事があるならば、来年になって心機一転してチャレンジしたっていいのではないでしょうか。

年が明けても特に変化があるわけではありません。だから焦らずに自分のペースを乱さずに維持している事が良い結果を残せるのではないかな、と私は思っています。

今年もあと一ヶ月をきりました。
年の瀬のこの独特の雰囲気を、楽しめる部分は思う存分楽しんで、そうでない部分には影響を受けずに(笑)あくまで自分らしくやっていこうと思っています。

私自身も、どうしても年末は忙しくなってしまうのですが、できるだけ多くの方と顔を合わせて、きちんと一年のお礼を伝えて、そして新年を迎えたいと思っています。
でも自分のペースは崩さないぞー。



2014年12月13日土曜日

休日を満喫

今日は休日。
ということで久方ぶりに買い物でも楽しもうということで、三重県にあるジャズドリーム長島に行ってきました。
年末ということや同じ敷地内にある『なばなの里』のウインターイルミネーションも真っ盛りということで混雑も予想していたのですが、予想に反してゆっくりとショッピングを楽しめる程度の混み具合でした。
丸一日かけて、服、キッチン用品、雑貨などなどを欲求の赴くまま買い物しました(笑)

物欲が満たされたら次は食欲。
ひつまぶしを堪能。
うなぎがほろほろで美味しかった。


そしてお隣にある『なばなの里』には及ばないまでもジャズドリーム長島でもウインターイルミネーションが。

ささやかではありましたが色とりどりにデコレーションされたクリスマスツリーに季節を感じました。

今日のためにここ最近スケジュールを調節して仕事を前倒しで終わらせたかいがありました。
たまにはこういう思いっきり羽根を伸ばして遊ぶ日があると、明日からの日常への活力になりますね。



2014年12月8日月曜日

寒波。気候と精神

12月に入り、急に寒くなりましたね。
名古屋は昨日、今年初の雪が降り、気温とともに否応なく体温が下げられています。
季節の変わり目は体調を崩しやすいので皆さん気をつけてくださいね。

そして、安定しない気温は体だけでなく心にも影響を及ぼすと言われています。
特に自律神経は気温の寒暖にデリケートですので、急激に寒くなるとリズムを崩しやすくなります。

気候と精神は実は密接に関係していたりします。
例えばうつ病。
諸説は色々ありますが、太陽のあまり出ない地域ではうつ病の割合が多いという研究もあるそうです。
そして、「太陽光セラピー」と呼ばれる、太陽を浴びることでうつ病治療に効果的というアプローチもあるそうです。
実際、うつ病の改善方法には、一日のスケジュールを管理するアプローチも有効とされており、
朝決まった時間に太陽の光を浴びる時間を作る。
というのも重要視されるそうです。

とはいえ、症状が重篤だとそのスケジュール管理が困難になるというのも鬱病の症状のひとつですので、自分で無理に厳しく管理するのでなく、専門家や第三者とともに自分のペースを考えつつ徐々に規則正しい生活リズムを作っていくというのが大前提ですのでお忘れなく。

最近体調がすぐれないな
疲れやすい気がする
気分が落ち込みがち

そんな気配を感じたら、少し自分の生活習慣を見なおしてみるというのも心の健康管理にはお手軽で有効な方法ですよ。




2014年12月5日金曜日

達成できる目標設定

最近英語を勉強しています。
英語というか英会話ですね。

なぜ今ごろ?というと。
心理カウンセリングの研究はやはりアメリカなど海外が盛んです。
日本ではカウンセリングというと臨床心理学の一分野ですが、海外ではカウンセリング学という学位も独立していたりします。

そして僕自身仕事で、海外の著名な研究者の方にお会いする機会もあったりします。
僕の務める会社では、海外の著名な心理学者など第一線で活躍されている方を日本にお呼びして講演会などを開催したりするので、講演会が終わった後に食事に同席させてもらう機会もあります。関係者の役得です。
そんな時いつも思ってはいました。

「ああ、自分が英語を話せたら通訳さんを介せずにもっと深い話ができるのに!」

さらに、数年前に研修旅行の引率で海外に行った際も、必要最低限のコミュニケーションでは満足いかず、もっと海外を自由に楽しみたいとも思いました。

ということで遅ればせながら始めたわけですが、これがなかなか上達しない。
いや、それ以前の問題です。
モチベーションが続かない。
目標はあるのだけれど、なかなか達成するための努力に結びつかない。
そんな人も多いのではないでしょうか。
そこで、達成するための目標の設定の仕方というものがあります。

それは、4W2Hで目標を設定すること。

4W2Hとは
●いつ When
●どこで Where
●誰が(誰と) Who
●何を What
●どうする How
●どれくらい How Much(many)

つまり、目標の姿を具体的にイメージするわけです。
経験ありませんか?

「あー、旅行でもしたいなー」

そんな風に漠然とした望みって結局叶わないんですよね。
しかし

「○月○日に△△へ□□さんと一緒に☆☆するぞ」

こんな風に具体的な未来像を思い描くと、そのために何をやるべきか、何が必要かなどの具体的な今やるべき努力の方向などが明確になりやすくなります。
これはカウンセリングでも応用されており、クライエントに目標がある時は曖昧なままで方法論を模索するのでなく、まずはゴールイメージをしっかり明確にしてからそのための方法を考えていきます。

ということで、来年の秋ごろに、アメリカに旅行に行くぞ!



2014年12月1日月曜日

映画『インセプション』(2010 アメリカ)

今日は映画を見ていました。
上映中ではピンとくるものがなかったのでレンタルですけどね。

『インセプション』というレオナルド・ディカプリオ主演の2010年公開の映画です。
ストーリーはざっくりいうと、
他人の夢の中に入り込んでその対象の『アイデア』を盗み取る企業スパイという設定なのですが、
映画のジャンル的にはSFアクションに部類されるかと思います。

勿論映画的にも面白かったし、何よりディカプリオが好きなので楽しめました。
ディカプリオ、いいですよね。『ロミオ+ジュリエット』辺りまでは絵画のような美青年で、その頃も好きだったのですが、近年では貫禄も出てきて(太ったともいいますが)シブい男がよく似合います。
特に彼はノンバーバル(身振り手振りのゼスチャーなどセリフ以外)の演技がとても表情豊かで、コミュニケーションや表現を仕事としている自分としても憧れます。

さて、そのインセプションという映画では、『夢』が大きなキーワードとなっており、その『夢』には幾つもの階層があり、深い階層に潜るほどその人の深層心理が影響を与えていきます。
そんな中で、一番心の奥底に秘めている大事なものが、夢の深い階層の『金庫』にしまわれているという描写があるのですが、この考え方ってとても面白いと思います。

『精神分析』的な考え方といいますか、人は自分に無意識に影響を与えるようなもの(記憶や感情など)を普段は自覚できない心の奥底にしまいこんでしまうということをします。
なので、ストレスなど鬱積した感情は自分にも予想できない形で表面化してしまいます。
ストレスが原因と診断され、カウンセリングなどを受けて初めて自分にとって何がストレスだったのか気づく、なんてことはよくあることです。

逆にいうと、ストレスのない生活、人生などというものはないと僕は思います。
大なり小なり生きていれば何らかのストレスを感じています。
そしてそれは正常なことであると思います。
しかし、
「私にはストレスがない!」
そんな風に言い張るのは、実はストレスをストレスとして自覚できていないのかもしれません。
自覚できていないストレスは、ウサを晴らす機会もなく、解消する必要性すら気付いてもらえないままその人の心の奥底に溜まっていってしまいかねません。

ストレスをストレスと認識できている、というのもこころの健康には必要なことなのですね。



2014年11月29日土曜日

花で癒しを

少し前に友人からお花をいただきました。
サプライズで突然送られてきたのでびっくり。
しかもその量にも二度びっくり。

そんな大量のお花が収まる花瓶がなかったので
家中の花瓶や花瓶になりそうなものを総動員。
各部屋ごとに小分けにしたお花が、しばしの間家中をいい香りに包んでくれました。
写真はそのうちのひとつです。



花や植物は心を癒してくれる効果があります。
フラワーセラピーと呼ばれる芸術療法では、
自分でアレンジした花から心理分析ができ、なおかつアレンジメントする行為そのものも癒やし効果があります。

もっと直接的には、園芸活動自体が癒やしの効果があるとして、園芸療法というのもアメリカや北欧ではセラピーのひとつとして確立されています。

自然の植物に触れることで、またそれを通して人の心を安定させたり心理状態を映しだしたり。
現代では積極的に動かないとなかなか自然に触れる機会は少ないですが、
だからこそ自然と触れ合う時間や機会を大切にしたいですね。

お花をくれたみなさん、本当にありがとうございました。
たっぷり癒やされました。


2014年11月28日金曜日

海外ドラマ『Dr.HOUSE』

今日はなんとなく近所のレンタルビデオ屋にいって数本レンタルしてきました。
その中の一本。『Dr.HOUSE』(ドクター・ハウス)というアメリカドラマなのですが、これが結構面白い。
あらすじとしては

診断医としての評価は高いが一匹狼で捻くれ者のハウスとそのチームが、他の医師が解明出来なかった病の原因をそれぞれ専門分野の能力や個性を生かして突き止めていく姿を描く医療ドラマ。
(Wikipedia抜粋)


というのもで、診断医・ハウスの病因特定に至るまでのプロセスが見ていてワクワクと驚きを楽しめます。
僕は「精神分析」をメインの手法とするカウンセラーではないので、クライエントの症状や語る内容から推測したりすることはさほど多くはないのですが、やはり臨床の現場でカウンセリングをしていると、クライエントの状態を推測することも必要になります。これを精神分析では「解釈」などといいますが。

さて、ドラマの中には患者自身が原因を語らないがゆえに特定が困難なケースも多く、それもひとつのテーマとなっており、ハウスの口癖の一つにこんなものがります。
「人は誰しも嘘をつく」

これ、偶然なんですけれども僕もカウンセリングの中でよく思うことなんです。
とはいえ、誤解しないでください。
僕がカウンセラーとしてクライエントを信用していないとかそういった意味ではありません。
クライエント自身が間違った思い込みや、自身の状態を正確に判断できていないがゆえにカウンセラーに対して事実ではない内容を語ることは決して少なくありません。
というより、自分自身に正直にいれず嘘をついてしまっている状態こそが、精神的な不具合の要因となる場合もたくさんあります。

なので、クライエントの語る内容を僕は受け止めます。しかし、鵜呑みにはしません。
しっかり話を聞いていき、疑問に感じたことは尋ねますし、矛盾を感じたら指摘することもあります。
そういったコミュニケーションを通じて、クライエントは自分の本当の気持ちに気づいていく。
カウンセラーが真実を知ってすっきりとか、嘘を暴いてやったぞなんてことが目的ではなく、
あくまでクライエントが本当の気持ちや事実に気づいてもらうことが大切なのです。
そのお手伝いをすることこそがカウンセリングの中では重要だと考えています。

ところで、アメリカなど海外の映画やドラマを見ていると、日常的な場面で日本との常識の違いに気づくことがよくあります。
そういった多様性的なものも感じながら見ると、海外の作品というのはまた違った面白さもありますね。







2014年11月26日水曜日

目出鯛

お義父さんから鯛をいただきました。
釣りが趣味なのですが、家族は残念ながら魚がさほど好きではないそうです。
「鯛を釣ったから、めでたいのであげるよ」
僕は魚が好きなので喜んでいただきました。

ということで、鯛のカルパッチョとあら汁。


















カルパッチョはオリーブピルとレモンだけでシンプル味付け。
あら汁はちょっとお顔が怖いですが出汁たっぷりで大満足。

この世の全ての食材に感謝をこめて、いただきます!
(BY トリコ)


2014年11月25日火曜日

放置からの帰還

随分と長いこと放置してしまいました。
理由は、公私共に忙しくてこのプライベートブログにまで手が回らなかったというのが半分。
残りの半分は、しばらく放置してある日自分のブログを見ようとしたら『ページが表示できません』の表示。
これは更新していなかったせいか、はたまた無自覚に何か不適切な記事でもあげてしまっていたのかと、疑問に思いつつ諦めてしまっていました。

それから更に数カ月して、知り合いとこんなやり取りが。
「最近ブログ全然更新してないね」
「あれね、削除されちゃったみたいで」
「え?普通にあるよ?昨日も見たもの」

確認してみると確かに復活してました。
一時的に閲覧できなくなっていただけのようです。

気付かせてくれてありがと―!

というわけで身の回りも少し落ち着いたのでまた復活です。

しかし、こういった情報発信ツールというのは面白いもので。
本人の預かり知らぬところで誰かに見られているという事が、面白くもあり怖くもあり。

アクセス数解析という、どれだけの人がブログに訪問したかがわかる機能がありますが、
明らかにこのブログの存在を教えた人の数よりも多くの人が一日のうちに訪問している事なんてよくあります。
こちらからは姿の見えない訪問者は、どのようにたどり着いて、何を思って僕の個人ブログを見ているのでしょうね。

どこかから僕を観察している僕の知らない観察者がいるわけです。
『観察者効果』というのは、科学から物理学、量子物理学、社会学などさまざまな学問で色々な意味を持って使用されている言葉です。

僕が哲学を専攻していた学生だった頃、その教授がこんな問いかけをしました。

「無人島で木が倒れた時、音はすると思うかい?」

面白いですよね。音というのはその音を聞く(鼓膜の振動として刺激を受ける)対象がいなくても発生するのか。
という事だと理解しているのですが、これは様々な事にも言えると思います。

観測されて初めて存在する。
人の心も同じなのではないかと思います。



2014年8月23日土曜日

日本人に合った心理療法とは

先日とある韓国料理屋にて昼食をとっていた時のこと、このような話を聞きました。
日本に韓国料理屋は数あるが、味が日本人向けになっていて、本場はもっと辛い。だそうです。

そういえば日本のカレーもラーメンも、もはや日本オリジナル料理として海外で人気なのだそうです。カップラーメンに至っては本場中国でも日本のカップ麺はジャパニーズフードとして人気だとか。
もう一つ、タラコスパゲッティもイタリア人は「これはパスタじゃない!」と怒りながら美味しそうに食すのだとか。
とにかく日本の独自のものとして進化(変化?)させる技術と発想力はよくジョークにも使われます。

【製品とは】
    _、,_
 ① (⊂_  ミ ドイツ人が発明し
 ↓
 ② ( ´_⊃`) アメリカ人が大量生産ラインを構築し
 ↓
 ③ ミ ´_>`) イギリス人が商品化の為に投資し
 ↓
 ④ ξ ・_>・) フランス人がデザインを洗練化させ
 ↓
 ⑤ ( ´U_,`) イタリア人が宣伝とブランド立ち上げを行い
 ↓
 ⑥ ( ´∀`) 日本人が小型高性能化に成功

これとか有名ですね。

しかしなかなか日本で独自に開発されないのが心理療法。
もちろん、「森田療法」「内観療法」などは日本で生まれたものですが、近年では新しい心理療法は生み出されていません。
理由としてメンタルヘルスの制度面で日本は欧米に遅れているという残念な面もありますが。
そんな中で、海外で提唱されながらも、とても日本人向けの心理療法というものがあります。

それは「交流分析」
1950年代に提唱された心理療法なのですが、その理論の中に面白いものが。
『裏面的交流』と呼ばれるもので、簡単に言うと「ホンネとタテマエ」
表面的な言葉の裏にホンネのメッセージを隠して伝える、あまり健全とはいえない交流のパターンです。

「君はイケメンだよね!ただ頭がいいだけの僕なんてとてもかなわないよ。僕は将来はエリートコースだけど今の君の幸せが羨ましいな!」

ちょっと露骨過ぎですが(笑)
表面的には自分を卑下して相手を褒めているようですが、実は自分が優位に立っていることを誇示しようとしています。

こういうコミュニケーション、日本人って得意だと思いませんか?
本音を隠す謙虚さが美徳なんていう価値観さえあったりします。
特に僕は生まれが京都だったりしますので、こういった腹黒さを身にしみて知っています(笑)

だからこそ、この交流分析の理論は日本人のコミュニケーション向上にとても役立ちます。
アメリカで生まれた心理療法でありながら日本人にマッチする。
そんな交流分析で自分の日々のコミュニケーションを見直してみると、うまくいかない人間関係の理由がわかったりするかもしれません。


2014年8月22日金曜日

カウンセリングはとても効果的で有用なのに

更新ご不沙汰していました。

さてみなさん、お盆はどのように過ごしましたか?
僕は例年通り実家に帰省したりと忙しく過ごしていましたよ。

さて、今日の話題は
『カウンセラーという存在は一般にどのように認識されているのか』
ということなんです。

というのも、過去にカウンセリングを受けた経験のある方と話していると、こんな感想が多いことに気づきました。

「カウンセリングって話聞いてくれるだけでしょ」

「心理テストや病名ばっかり言われてもね、結局解決には繋がらないもの」

大きく分けるとこのどちらかの感想が多いですね。

ここで言いたい。

僕のところに来てくれたら、絶対そんな感想は持たせないのに!

大きく出ましたが、事実です。実際そんなこと言われたことないですもの。
そもそも、話を聞いてくれるだけなんていう感想をクライエントさんに持たせるなんて、
それはカウンセラーの技量不足でしかありません。
診断まがいのことや上から目線の心理テストでお茶を濁すだけの自称カウンセラーも同じです。

だいたい、『話を聞く(聴く)』というのは確かに来談者中心療法のカウンセリングでは基本の関わりです。
そう、あくまで基本ですよ。
本当のカウンセリングは、『話を聞く』だけで終わったりしません。
敢えて言うなら、第三者から見ると、話を聞いているだけに見えるかもしれませんが、
カウンセリングを受けている本人にとってはそれだけではない得るものがあるはずです。
そして、その得たものを気づかせてあげれないのもカウンセラーの技量不足です。

現在日本では、心理カウンセラーというものにオフィシャルな(国家)資格が無い現状。
結果、『自称』カウンセラーが多くはびこっています。
若しくは、本来心理カウンセリングが専門でない領域の方がカウンセリングを行っているというのもまた現状です。
それら『自称』カウンセラーや技術不足のカウンセラーによって心理カウンセリングの価値が低くみられてしまうのは本当に憤慨です。

今僕は、カウンセラー養成学校で講師をさせていただいています。
啓蒙という意味でも重要な事であり、僕の生徒さんが一人でも多く優秀なカウンセラーとなってくれることを切に祈ります。



2014年8月5日火曜日

振り込め詐欺対策ポスターに思う

世の中にはいろいろな手口の犯罪がありまして、
この『振り込め詐欺』というものは、典型的といいますか、盲点を突いたといいますか、
まぁ実に人間心理の虚をついた巧妙な手口だと思います。

特に典型的なのが、数年前までは『オレオレ詐欺』などと呼ばれていた手口でして、
年配の方をターゲットにして、ご主人や息子さん、親類を騙り、

「俺だよオレオレ、車で事故起こしちゃってお金が……」
「母さん俺なんだけど、仕事でミスして損害を自己負担しなきゃいけないんだ……」

などと、家族に対する愛情を逆手に取ってお金をだまし取る手法でした。

昨今では随分一般的にも知られたりしたことで、被害も減ってきたそうですが、
僕の住む街にも、この「振り込め詐欺に遭わないようにしよう」という目的で啓蒙ポスターや
呼びかけなどがされているのですが。
その対策として

●相手が「オレ」と言っても軽率に名前を呼ばないようにしよう
●子供や親戚とは合言葉を決めておこう
●慌てずに電話を切った後にすぐ確認しよう
●家族がATM利用限度額の引き下げをしておこう

などの撃退法が薦められているようです。
ここで少し引っかかったことが。

どうして、詐欺被害者のお年寄りが対策を講じることばかり考えるのでしょうか。

もっと単純に言えば

『我々が年配の方に電話をする際にはまず名乗りましょう』

それだけでいいんじゃないのかなって思うんですよね。

普段から名乗って電話していれば、
「名乗らないあんたは誰だ?」
とてなるのではないかなと。

勿論、物騒な世の中ですから、電話がかかってきても
「はい、こちら○○です」
なんて僕も名乗りません。

でも、こちらからかける時は名乗っても問題ないのではないでしょうか。
それだけで、お年寄りが電話の相手を勝手に勘違いする、というこの詐欺の肝は潰せるのではないかと思うんですよね。

被害に遭わないように対策を講じるのも大事ですが、本人の努力ばかり強いるのでなく周囲の者も普段の行動を改めることも有効だと思います。

もしかしたらそういう対策も奨励しているのかもしれませんし、何か僕の見落としている欠点もあるのかもしれませんが、
今日なんとなくポスターを見て思ったことでした。

2014年8月2日土曜日

うさぎセラピー

矢場町にある『うさぎカフェ』なるものに行ってきました。
このカフェ、ウサギと触れ合えるコーナーとカフェコーナーが独立しており、ゆっくりまったりとウサギを愛でることができます。
いやぁー、癒される。



至福ですね。
犬好きを公言する僕はうさぎを飼ったことがないので、あんなにじっくり触れるのははじめてだったのですが、
あんなにもモフモフと柔らかいものとは。
予想してたよりもお肉少ないんですね。
全身バネって感じで、お肉のムッチリ感は犬には一歩劣るものの、それを補って余りある可愛さでした。
ウサギって常に鼻がヒクヒク動いているんですね。
あと、おやつをあげることもできるのですが、これがまた力強く食べる!
しかも結構噛んでくる(笑)
ともかく楽しい時間でした。また行こうっと。

さて、動物に癒やされるというのは、『アニマルセラピー』というものがあります。
これは、精神的な治療の一種として知られています。
主には馬やイルカなど、比較的知的水準の高い動物を使っての場合が多いようです。
治療論としては、動物の世話を介して生活習慣を付けさせるなど効果がある一方、情緒障害や精神疾患などで対人関係に疲弊していた人の回復期に行ったり、または身体の障害でリハビリテーションを必要としている人に「動物の世話をさせる」という目的を与えて、それら作業を通じてリハビリを行うという様式が挙げられるそうです。

なんだか難しいですね。
もっと単純に考えてもいいのではと思います。

純粋で真っ直ぐな心を持った動物と接することで、気持ちが穏やかになり精神的な安定が期待できる。
それだけでも大きな効果がありそうです。

現代のカウンセリングの主流の一つに『来談者中心療法』があります。
この治療論を一言でいうと。
治療を行うカウンセラーは、ありのままの状態(自己一致といわれます)でクライエントに関わることで、
クライエントもありのままの状態に促される。
その結果、自分らしくなれることで心が健康な状態になっていく。

ただそれだけなんですよ。
単純なようでとても奥が深い。それが来談者中心療法です。

この、「ありのままの相手に受け容れられる」経験をすることが、心が不具合を起こしてしまった人には有効ということなんですね。
となると、動物というのはうってつけのカウンセラーなのではないでしょうか。

ありのままの(本能ともいいますが)動物と触れ合うことで、そんな動物に肯定される(懐かれる)ことで、
自分もありのままの状態を取り戻してゆく。

動物のような無垢さを持ったカウンセラーでありたいものです。


2014年7月28日月曜日

僕の中で認知行動療法ブームが再燃と話題に

タイトルそのままなんですが、最近、僕の中に『認知行動療法』ブームが再燃しています。

かつて、僕のカウンセリングのスタイルは認知行動療法をメインとしていた頃がありました。
それは、カウンセラーとして現場に出てすぐ、大きな壁にぶち当たっていた時。

「学んだカウンセリングでは十分な効果が出せない」

というのも、僕は『来談者中心療法』というスタイルのカウンセリングを主に学んだのですが、
それが現場では通用しなかったんですね。

おっと、違いますよ。勘違いしないでください。
カール・ロジャーズ(来談者中心療法を提唱した偉大な心理療法家です)の名誉のために言っておくと、
来談者中心療法がダメなわけではないですよ。
使う人間がダメだったんです。

来談者中心療法についてはまた別の機会にしっかりテーマにしたいと思いますのでここでは解説はしませんが、
とても効果的な療法だと感じます。実際、今の僕のカウンセリングの土台はロジャーズの教えを大切にしていますし。
しかし、学べば学ぶほど奥が深く、「極めた」なんて今でも口が裂けても言えません。
つまり、当時の僕は来談者中心療法の真価がわからないほどペーペーだったわけです。

そんな頃、出会ったのが『認知行動療法』。
驚きました。こんなに効果的なアプローチがあるのかと。

このブログは心理学やカウンセリングを学術的に解説する目的ではないので、
ざっくりと、乱暴に、おおまかに、大枠で、大雑把に、アバウトに簡単に説明すると。

人は、何か出来事に対して、その出来事の意味を『考え』ます。
むしろ、考えた結果、はじめてその出来事に意味が生まれるのです。
例えば、
道を歩いているとみんなが自分をジロジロと見てきます。
これは、出来事としてはただ単に、『人が自分を見ている』ということでしかないはずです。
しかし、その出来事の意味を人は『考え』ます。

「みんながジロジロ見るのは何か珍しいものを見つけた時だ」
「自分は見られるような珍しいことをしているのでは」
「珍しいことをしているなんて恥ずかしい」

そんな風に考えるから、「ジロジロみられて恥ずかしい」
そんな結果に至るわけです。

その『考える』という働きを『認知』と考えてもらうとわかりやすいですね。
その『認知』が自分にとって生活に支障をきたすようなものであるなら、違う『認知』を持とうというのが認知行動療法。

「ジロジロ見るのは僕がかっこいいからみんな羨ましくてみているんだ」
そんな風に考えられれば、
ほらもう恥ずかしくないわけです。

専門家の方が見たら怒られそうな、ものすごーーく簡略化しましたが、
まぁそんな感じです。

一言で言えば、
考え方や、ものの捉え方を変えることで、出来事をポジティブに解釈できるようになろう。
そんな感じと思っていただければいいです。

その認知行動療法、これが現場では実に使いやすいんですね。
うつや不安障害などに効果的ということで、
実際、数ある心理療法の中で唯一、保険診療適用もされています。

さて話を戻すと、
僕は自分の学んできたカウンセリングに限界を感じ、この認知行動療法に出会ったと。
しかし、それも一時期。
ここ数年では、また別の療法をメインにしており、あまり行っていなかったのですが、
先日あるケースの中で、求められて認知行動療法を行いました。
その時に、ふと思ったのです。

「今の自分のスタイルに改めて認知行動療法を平行して取り入れたら、すごく効果的なアプローチになるのでは?」

おそらく、以前にハマった時より自分のカウンセラーとしての力は上がっていると思います。
ならば今なら、あの頃より効果的に使えるのではないかと。

経験を積めば積むほど、学べば学ぶほど進化していく自分のカウンセリング。
また新しい扉が開きそうでワクワクしています。






2014年7月24日木曜日

食の安全

ここ数日のニュースで、中国企業が使用期限切れの鶏肉を供給していたというニュースが大きく報道されていますね。
しかも日本国内にも流通していたらしく、大手外食産業は大きなイメージダウンを強いられています。

日本人は『食』にはうるさいと言われており、

「日本人は諸外国から何をされても怒らないけど、『食』に関することだけは怒る」

そんなジョークにもされるほどで、
そんな中国企業からの鶏肉を使用していた日本の大手外食チェーンやコンビニは早くも名前が挙げられており、これからその対応に追われるのでしょうね。

さてこの問題、そう単純なものではないと思います。
本当に問題なののは、食べ物に対する安心感が失われたということなのではないでしょうか。

今回の中国企業と関連のあった企業だけでなく、これから買い物や外食のたびに我々はこう思うのではないでしょうか。

「この店の肉は大丈夫なのか?」
「ここも大手チェーンだし、どうせ危ない食品を使っているのでは」
「なんだか味が変だぞ。これはきっと使用期限が切れているに違いない」

そんな風にいちいち心配しながら食べるというのは、大きなストレスとなるでしょう。

人は、自分でも制御できない考え方のクセというものがあります。
『自己関連付け』という認知の歪みの一つのパターンは

「悪いことが起きたのは自分のせい」

という考えに囚われてしまう傾向にあります。
その結果生活に不具合を感じてし生きづらさを訴える方はカウンセリングにも多くいらっしゃいます。

今回の場合は少し違いますが、やはり一つの事柄やよく考えれば繋がらない事柄同士を

「あれが○○なのだがら、これも○○に違いない」

そんな風に関連付けてしまうきっかけと十分成り得ることだと思います。

『食』を提供する立場であることは、単純に商品を売っているだけでなく、
『食べる』という生きていく上で必要不可欠な営みに、大きな影響を及ぼす存在であることをもっと強く受け止めるべきであると感じます。
今回のことを機に、我々の食の安全がより安心したものとなるよう願います。


2014年7月21日月曜日

黄の空、人の縁


今日の名古屋の夕方の空模様。
写真じゃイマイチ伝わらないかもですが、空が黄色くて異常気象みたいでなんだか気持ち悪かったです。
ここ数日は毎日といっていいほど一時的な雷雨があって、どうも気候が安定しないようですね。

天候と気分というのは密接な関係があるもので。
もう少し具体的にいうと日照量が少ない国、寒い国など雲が厚くて太陽を浴びる機会が少ない国はうつ病が多いというデータもあります。
逆に、うつの治療法には規則正しい時間に太陽光を浴びるというものあって、やはり人間も動物なんですね、自然の力に大きな恩恵を受けているようです。

さて、そんな今日はかつての教え子さんにご飯に誘っていただいてきました。
美味しいお酒に料理に、笑いの絶えない会話。
曇り模様のせいか冴えない気分もどこ吹く風で、時間を忘れて楽しみました。

人と人の縁とは良いもので、こうして久しぶりに会っても互いの信頼関係があれば、会っていなかった時間も関係なく気を許しあえます。
仕事上こういった機会が多いのも恵まれていますね。
互いに心理を学んだもの同士ですので、ある意味気持ちのよいコミュニケーションの専門家なわけですし。

こういった出会いに自分は生かされているんだな、とつくづく思います。
うん、大切にしていこう。

2014年7月19日土曜日

きどくむし は きのどく

僕の学生の頃はポケベルかPHSだったんですけど、最近はみんな携帯。それもスマホですね。
何でもスマートフォン普及率は5割を超えるとか。
確かに電車乗っているとみんなスマホの画面見てますね。

かくいう僕もスマホユーザーなわけですが。まぁ便利ですよね。
電話ができるちっちゃいパソコン感覚で。
ほとんどネット見るだけでそれ以外の機能は使ってないんですけどね。

そのスマホ、色々なアプリがあるようです。
課金アプリなんかも問題になっていますが、それはまた別の機会に。
今日話題にしたいのは LINE というアプリです。

インターネット通話やテキストチャットなどの機能を持つアプリの中では一番メジャーなんではないでしょうか。
特徴としては、自分がメッセージを送った相手がそのメッセージを読んだかどうかがわかるという、『既読機能』でしょうか。
これが問題になっているようで。

既読になったのに数分返事が来なかったら友達じゃない!
そんなルールまであるそうですよ。
あー怖い。

携帯メール全盛期の時代にもこういうのありましたよね。

「メール送ったのに返事しないなんてひどい!」

いつも不思議に思ってたんだけれど、すぐ返事欲しいなら電話すればいいんじゃないかな、と。
メールの利便性って、相手の都合を考慮して、都合のいい時に見てもらえるメッセージじゃないのかな?

ネットの普及で、こういったコミュニケーションの種類が増えて、直接的なものだけでなく、こうした媒体を介してのコニュニケーションが増えた事自体は便利になっていいことだと思います。
しかし、その反面ではこうした問題も生まれやすくなるのですが。
これってネットとかLINEとかの問題なのかな?
単純に

相手の立場になってものを考える

ただそれだけのことで防げることじゃないのかな。
自分の都合もあるけれど、同じように相手にも生活があって都合もある。自分の思い通りになんていかない。
それがわかっているだけで、自分発信の、ある意味自分の都合で送ったメッセージを中心に考えてしまうことなんてなくなると思うんですけどね。

問題は携帯とかネットとかそういうツールじゃなくて、使う側のモラルにあるんじゃないかと思います。
そんなモラルがまだ備わっていない未成年がツールを持つ事、そしてそんなモラルを教えられる大人がいないことが問題の本質なんじゃないのかな、なんて思います。


あと、既読無視のことを『ks』というらしい。
既読スルーの略らしいんだけど、スルーの綴りは『though』だと思うんだ。



2014年7月18日金曜日

脱法ハーブの報道に対して

ここ最近急速に話題に取り上げられるようになった脱法ハーブ。

僕が学生の頃からあったので20年近く前から気軽に買えたと思うのだけれど、なぜか最近急に脱法ハーブ吸引が原因の事件が増えていますね。
体内摂取により、興奮、催眠、幻覚・幻聴などの作用があり、位置づけとしては『法律に触れない気軽なドラッグ』という印象だった。
法に反しないとはいえ、実は体内摂取は薬事法的に違反なので、名目上は『観賞用』として販売されていることが多く、いわゆるスキマをすり抜けるものなわけですね。

勿論肯定するつもりはないし、依存性や毒性(原料も不明なものが多く、ある意味麻薬や大麻よりも怖い)も認められるということなら、
厳しく取りしまうという流れが当然ではあると思う。

今日はそこではなく、別の所に疑問を感じたのでそこについて少し。

まずは極論として、あくまで個人的な意見なのだが、自己責任でやるのであればどうぞご勝手にと言いたい。
蔓延して、分別や責任能力のない未成年にまで広がるのは絶対避けなければならないことだが、
いい大人が自宅で幻覚や幻聴楽しんでアッパーになりたいというなら、それはもう自己責任でやったっていいのではないかとちょっぴり思う。
お酒だって飲んだらハイになって依存性あるわけだし。
なら酒類も規制しなやいけなくなるし。

だが、ここ最近の事件は、脱法ハーブを吸引して車を運転して事故を起こすという、もう根本的に脱法ハーブが原因というよりも、
その人のモラルや常識が疑われる。
どうして脱法ハーブ吸って車の運転する?
家で一人で楽しんでりゃいいじゃないかと思う。

実際、脱法ハーブが出まわって随分経つが、そんな事故はあまり耳にすることはなかった。
そこで感じたこととして、報道による知名度の上昇という要素があるのではにだろうか。

今まで存在も知らなかった脱法ハーブ、しかしきっかけとなった事件をワイドショーでやたらと取り上げているのをみて興味をもった、
そんな人も多いのではないだろうか。

重ねて言うが、僕は別に脱法ハーブを容認しているわけではない。だが、きちんとルールや節度、周囲への迷惑を考えてひっそり楽しんでいるオールドファンに対しては、別段怒りを感じることはない。確実に体や心に良い影響は与えないだろうが、それも含めて自己責任だ。
それが、話題になったことで一般に存在が浸透してしまったという事実はあるのではないかと思う。

もしマスコミが、話題に挙げることで世論の力を借りて脱法ハーブ全撤廃を意図しているのならそれも戦略の一つだろうし、是非は別として納得する。
しかし、話題や目新しさ先行で無責任に存在を広めているのなら、それはもはや広告塔になりかねない危険なことなのではないかと感じる。

今回の一連の流れで、かつてのある事件を思い出す。
10年ほど前、マジックマッシュルームというキノコがあり、それもやはり法に触れないながらも幻覚作用や気分の高揚作用などがあり若者の間で流行していた頃がありました。
そんな中、現在も活躍している男性俳優が、マジックマッシュルームを食した結果、強い幻覚作用などに襲われてパニックを起こして外に出て助けを求めるという事件がありました。
その事件で話題になったマジックマッシュルームは、事件の直後と言っていいほど素早く法規制を受けました。
今回の流れととても似ているんですよね。

最後に、現在違法対象も含む、精神刺激系の薬物に対しては、こんな思い出があります。
学生時代からとても好きだった男性歌手が、大麻取締法で逮捕された時に感じたこと。
その歌手は、恋愛ソングをとても心に来る歌詞に乗せて歌う人でした。
「あの胸を打つ歌詞は薬物で高揚したものだったのか? 薬物に頼らなくても『恋』でいくらでもハイな気分になれるって信じてたのに」
そんな、裏切られたような悲しい気持ちになったことを今でも強く覚えています。


2014年7月17日木曜日

グリーフワーク

昨日、マンションのドア付近にヤモリが死んでいました。
夏が近くなるとうちのマンションには壁にヤモリを時々見かけていたので、
「あ、いつもこの辺りにいたやつかな」
そう思って庭の土に埋葬しました。

ヤモリって爬虫類なので苦手な人多いかもしれませんが、よく見ると愛嬌があるんですよ。
目なんて正露丸みたいだし。
日本ではヤモリが住む家には悪いことがおきないと言われたり、
東南アジアでは、赤ちゃんが生まれるときにヤモリが鳴いていると、その子は幸せになるという話もあるそうです。
そしてなんといっても虫を食べてくれる。
僕の最大の敵である、あの黒くてカサカサ走る長い触覚のGで始まる名前のアイツも食べてくれるそうです。

そんな愛するヤモリですから、コンクリの上でゴミのように処理されるのはしのびないということで、
せめて土に還ればと思い埋葬しました。

さて、人の死を悼む、死者を弔うというのは動物では人間だけの特殊な行動と言われています。
(個人的には、人間だけでなく仲間の死や主人の死を悲しむ動物は他にもいるとは思いますが)

一節では、人は知能を持つと同時に『死の概念』を持つに至ったとか。
人は、親しい人や愛する人と死別した時、大きな試練を強いられます。
大切な人を亡くした喪失感はとても大きなものです。

そんな、死を乗り越えるための心理学的な対処法を『グリーフワーク』といいます。
日本語では『喪の作業(仕事)』などとも言われ、個人的なカウンセリングだけでなく遺族同士の自助グループなどでも行われています。

例えば、『葬式(葬儀)』。
これも、グリーフワークの一種と考えられます。
亡くなった人の冥福を祈るために行われる祭儀として認知されていますが、
残された人たちが、人の死を受け止めるために行われる儀式としての一面もあると考えられます。

我々は生きていく上で、身近な人の死を経験しないですむことは難しいでしょう。
誰にでも訪れる可能性のある、死という喪失。

カウンセリングの現場でも、身近な人の死というテーマは多く扱ってきました。
それに対して有効なのが、感情の解放。
悲しみ、嘆き、中には怒りなど、身近な人の死には様々な感情が沸き起こります。
感情を解放するというのは思っている以上に難しく、それが我々の心の整理を邪魔することは以外に多いのです。

死を受け入れるということは、人生の中で大きなテーマとなっていくと感じます。



2014年7月15日火曜日

好きなもの①

いきなりだが、僕は漫画が好きだ。
別に隠しているつもりはないし、ある程度親しい人なら
「何を今更」
そう言われるであろう程度のことだ。

小学校の頃にはじめて親に漫画を買ってもらって以来、
数年前まで週刊少年ジャンプを愛読していたし、
実家には数千冊の漫画がある。
今の家にも数百冊はあるだろう。
ジャンルも節操なしだ。
少年漫画、少女漫画、青年漫画(いやらしいいやつじゃなくて、対象年齢が高めの漫画のことですよ)
など、ジャンルに関係なく面白いと思ったら何でも読む。
勿論、小説や学術書も読むが、それらと同じ選択肢として漫画も分ける事なく読む。
今の自分の知識や思想、価値観など読んできた漫画に大きく影響を受けているだろう。

しかし、自己紹介や趣味を人に語る時に、
「漫画が好きです」
とは言い辛い。

漫画という文化は、大きな文化・産業として確立しつつも、未だどこか子供向けの幼稚な趣味として認識されることも少なくはない。
そして、社会の中で何かしらが糾弾される時にも矢面に立たされることも多い。
有害図書というレッテルを貼られ、内容よりも表面的な描写で判断されることもしばしばだ。
また、知識のソースが漫画だというと、馬鹿にされることもある。

なにかと価値を軽んじられる漫画だが、
例えば手塚治虫は医師免許を持つという背景を使って『ブラックジャック』を執筆している。
医療の知識を持つ人間が描くこの作品に、僕は沢山のことを教えてもらった。
たとえ本人の知識でなくとも、作者は取材や情報収集を経て物語を作っている。
知識を得る手段としては、他の媒体に遜色はないはずなのに、おかしな話だ。

そして、表現方法としての漫画は、
『文章を読むことを放棄した娯楽』
そんなふうに思われがちだが、実はそうではなく、
『漫画という独特の表現方法だからこそこそ成し得る作品』
であると思う。
文章によって描写を読者に委ねるのが小説なら、
文章と絵を融合させることにより、作者の表現を100%に近い形で読者に伝える作品が漫画であると思う。

今まで色々な理由で、有害と認定された漫画を読んできたが、
全てではなくともその多くからは、しっかりとしたテーマが根底にあり、
そのテーマは決して有害なものではなかったと個人的に感じている。

だからといって漫画を高尚な文化として認めろとは思わない。
娯楽でいいのだ。
娯楽はどこまで行っても娯楽であり、それ以上の存在ではないのだろう。
だが、そんな娯楽を通して多くのものを学び、人生の糧とすることは可能だと思う。

何か社会的な主張があるわけじゃない。
ただ、僕は漫画が好きで、それは僕の人生を少なからず豊かなものとしてくれる材料であることを伝えたかっただけです。

何が言いたいかというと、
おすすめの漫画あったら教えて下さい。



2014年7月12日土曜日

励ましているつもりでも……?

元気のない人を見ると励ましたくなってしまう。
そんな人多いんじゃないでしょうか。
それはとても尊い、立派な優しさだと思います。
元気のない、落ち込んでいる人を見ると、つい元気になって欲しくて励ましてしまいます。

しかしそれは要注意。
あなたのそんな優しさが時に相手を追い込んでしまうこともあるのです。

落ち込んでいる人を励ます時、どんな言葉をかけますか。

①「落ち込んでいても何も良くはならないよ! さぁ、笑って! 」

②「君が落ち込んでいると僕まで悲しくなってくるよ……。僕のためにも元気になって欲しい」

③「僕が君の悩みを解決してあげるよ。さぁ、僕に任せてなんでも頼って! 」

どれも一見魅力的な言葉です。
優しさや頼もしさが伝わってくる気がしますね。
……そう。『気がする』だけかもしれません。

①は落ち込んでいる気分を強引に前向きにしようとしています。
結果、相手は笑うかもしれませんが、落ち込んだ悲しい気持ちが消えるわけではありません。
笑えと言われたから笑っているに過ぎず、逆に言うと悲しい、落ち込んだ気持ちを否定されています。
その悲しい気持ちはどこに行ってしまうのでしょうね。
どこにも行きません、その人の心の奥に追いやられて、ずっと残り続けてしまいます。

②は相手の為を想っての言葉のようですが、実は自分が悲しい気持ちになりたくないだけです。
目の前に悲しんでいる人がいるのに何もできない自分が苦しいから、自分のために無理に空元気を出して、と言っているようなものです。
これもやはり相手の悲しい気持ちを否定して、心の深い部分に押し込めさせているだけです。

③はどうでしょう。 頼りがいがあって、もうこの人に全部任せてしまおう。そんな気持ちにさせてくれます。
でもそれって、結局は自分が相手の気持を全部背負ってしまおうとしているだけなんですよね。
しかも、人は他人の気持ちなんて背負えません。そんな責任は負えません。
だって、自分の気持はどうあがいても自分でケリをつけるしかないのですから。
もっと言えば、この言葉は裏を返すと
「あなたは自分で解決する能力がないから、僕が助けてあげるよ」
相手の力を信じずに見くびっているから出る言葉です。

難しいですね、どれも正解ではないんですよ。
わかりやすくするためにあえて極端にきつい言葉を使いましたが、人を励ますというのはそれほど難しいのです。
むしろ、『励ます』なんていう発想自体おこがましいかもしれませんね。

ではカウンセリングではどうするか。
落ち込んで悲しんでいるその人の気持ちを、ただ受け止めます。
だって、どう誤魔化しても悲しい気持ちがあるのなら、いっそきちんと悲しんで、泣いて、気持ちを感じきるしかないからです。
勿論それで終わりじゃありませんよ。
(おかしな言い回しですが)悲しみを満足行くまで感じきった時、人は次に進めるのです。
そしてその時、人は自分の力で自分を励まし、救うことができます。

我々カウンセラーは、そんな人の力を信じて、自分で良くなっていくお手伝いをします。
自分を助けられるのは自分だけ。
単純なことですがとても難しく、一人でそれに気づくことは困難です。
そのお手伝いのために、数えきれない専門技術や知識をフル活用してその人を援助します。

カウンセラーとしての経験を積めば積むほど、人の強さを目の当たりにして、ますます人を信じる気持ちが強くなっていくのがわかります。



2014年7月11日金曜日

『心』と『体』

今日はまた暑かったですね!

全国的に初の猛暑日を記録した地域も多いようで。
また一方埼玉なんかではゲリラ豪雨的なものもあったとか。

こういう急激な気温の差はホントやめて欲しいんですよ。
弱いんですよね季節の変わり目って。

寒い→暑いとか暑い→寒いとか急に対応しろって言われても私の体はそんなに器用じゃないようで、
そういえば実家住まいの頃は季節の変わり目ごとに年2回は大風邪でぶっ倒れてたように思います。

でも、ひとり暮らしをはじめてからはあまり風邪で寝込むこともなくなりましたね。
だって、一人暮らしで寝込むと生命の危機を身近に感じてしまいますし。
それでも一人暮らししてからも寝込むことは何度か(主に食あたり関係で)ありましたが、あれはキツイ!

体が辛くて起き上がる気力もないし、かと言って寝込んでても食事は出てこないし。
ふらふらしながらコンビニ行ってウィダーインゼリーを買い込んで、
何とか生きるために必要な栄養を取りつつひたすら回復を待つという。
野生動物のような対処法です。
病院に行けるくらい元気だったら病院に行かなくてもいいというね、これはもう大いなるパラドックスですよ。

とまぁ、そんな私の不健康自慢はいいんです。
何が言いたいかというと、寝込めない状態だと寝込まない。
ということなんですね。

『病は気から』なんて言葉がありますが、勿論気持ちの持ちようではどうにもならない病だってたくさんあります。
しかし、「自分は病気だ……」と思っているとほんとうに体がしんどくなってきたり、実際に発熱したりと、
心と体は心身相関と言われるように密接です。
実際、体調に大きな影響を及ぼす自律神経は、ストレスや不安によって不調をきたします。
医学的見地からも気持ちと体の不調の因果関係は明らかになってきているようです。
もっと単純に考えても、「病気になってはならない」「病気になったら困る」と心がけるだけでも随分違うでしょうしね。

あと、病気と心の関係では

『疾病利得』

という言葉があります。
簡単に言うと、病気になることで得をする部分があると、病気を治すことに対して抵抗を起こしてしまうということでしょうかね。
例えば、子供の頃風を引いたら、親がいつもより優しくしてくれた、勉強しろって言われない、美味しいデザート買ってきてくれる。
そんな病気をすることで得られるものを求めることです。
多くの場合は本人は無自覚なので、病気に苦しんでいるのですが、自分でも気づかない深層心理ではラッキー♪と感じてたり。

カウンセリングには、心の不調を訴えてくる人が主です。しかし、体の不調を訴えてくる方も少なくはありません。

「いろいろな病院に行ったのに、体調不良の原因がわからない」

「この体調不良はきっとストレスから来ているんだ」

実際、カウンセリングを通して体の症状が軽減した、消えたというケースも沢山見てきました。
人間というのは、『体』だけでも『心』だけでもなく、その両方によって成り立っています。
体が弱れば心も弱るし、その逆も勿論。

両面からのアプローチが大事なんですよね。


台風

TVをつけるとどこも台風の報道ですね。
沖縄をはじめ各地では大きな被害も出ているところもあるようで、ブラウン管越しではありますが改めて自然の脅威を感じます。

「7月では最強クラス」らしく、確かに今まで聞いたこともないような高い数字で台風の危険度を伝えてくれています。
まぁ、台風と風邪は毎年「今年のは強いらしいよー」とは言われていますが……。

名古屋は今日明日が荒れるのでは? と心配していましたが、今のところ私の周辺では大きな影響は耳に入ってきていないようです。関西の実家も無事らしく一安心。
勿論、遠いところでの被害は関係ないというわけではないですが。

こういった自然災害というのは、時として人やその生活に大きな傷跡を残します。
壊れた家や体の傷は癒えたとしても、それによって傷ついた心のケアも必要です。


さて、話は変わりますが先ほどニュースを見ていると。
関東地方は明日も警戒が必要なようで、それに関しての街頭インタビューであるOL風の女性がこんな事を言っていました。

「電車が止まるといけないので明日は早めに家を出ようかと思います」

会社に行くことは決定なんだ……。
いえね、立派だと思いますよ。
でもね、会社に行けるかどうか、っていう心配は念頭にないのか、と思うと日本人って勤勉だなぁとつくづく思いました。

こんな時、海外の人はどんな思考をするんでしょうね。
各国の反応とか聞いてみたいな、なんて思いました。











2014年7月10日木曜日

ご挨拶

久しぶりです、こういう完全に100%個人的なブログ。
なのでまずは自己紹介的なことを書こうかと。

タイトルを見たら分かると思いますが、職業はカウンセラーをしています。
カウンセラーといっても、昨今は『○○カウンセラー』という名称が増えてきています。

そんな私は心理カウンセラー。
心理を専門としたカウンセリングです。
平たく言えば、悩み相談や心の不調の専門家です。

そこで、今日は私のカウンセラーとしての来歴を自己紹介代わりにこのブログのスタートとしようかと。

まず、学生時代に遡ると。私は哲学を専攻している学生でした。
どうして哲学かというと、もともと心理学は哲学の一部だと言えます。
本来哲学とは、万物の理というか、物事の本質をもっと解き明かそう!というのが大きな目的です。(からり乱暴に言いうとね)

そんな哲学の研究対象として、『人の心』などという魔化不思議極まりないものが挙がらないわけがないわけで。
心理学の開祖と呼ばれることもある哲学者アリストテレスさん。彼は「心は脳髄にあり」と言っています。
なので、人の心を哲学したものが心理学と言ってしまってもいいのではないでしょうか。

そんな哲学を学んだ結果、私はこう思いました。

「実験や研究ばかりじゃなくてもっと実践で役立てたい!」

そこから臨床心理学を学び、紆余曲折を経て臨床心理カウンセラーという資格を取りました。

資格を取得後すぐに同じ志を持った数人とカウンセリングルームを開業。
今考えると実績もないし勉強も足りないのによく思い切ったものです……。

そして経験を積んで独立。
個人でカウンセリングルームを開業して、6年程東京の恵比寿や赤羽で一般の方を対象にカウンセラーとして活動していました。
個人セッションから講演会など含むと、千人以上の方たちと関わらせてもらいました。
そして5年前から名古屋でカウンセラー養成学校で講師として沢山の方にカウンセリングの技術や経験をお伝えさせてもらっています。

改めて振り返ってみると、カウンセラー人生も長いことやってきたなぁ、と感慨深いものがあります。

色々な方と出会いました。
そんな出会の一つ一つが私の成長となり、今の自分となっているとしみじみ感じます。

そしてどうやらこの職業は私の一生の生業となりそうです。