2021年5月8日土曜日

集団心理におけるマナーとかそういう話



さて、最近はコロナ蔓延防止の一環として夜の飲食店や酒類の提供の自粛が行われていますが、そういったこれまでとは違うことをすると、どうしても新たな問題も生まれてしまうもので。

顕著なのは、いわゆる外飲みでのゴミ持ち帰らない問題だとかですね。
外飲みの是非はともかくとして、ゴミは持ち帰ろうというのは子供の頃から定番で教え込まれているマナーのはずですが、何故か守られない。

他にも、コンビニなど商店での買い物袋が有料化されてから、明らかに街にゴミが増えたと感じます。
私のオフィスは名古屋の繁華街付近にあるので特に実感します。朝の出勤時など、おにぎりやパンを食べ歩きしたであろうゴミが道路のあちこちに放置されています。

また、歩きたばこ禁止区域が増えたことで灰皿が街から減りました。その結果、吸い殻のポイ捨ても増えました。そもそも歩きたばこをしている人は以前から一定数見かけていましたが、灰皿が無くなったことでポイ捨てせざるを得ないのでしょう。百歩譲って携帯灰皿という便利アイテムもありますが、歩きたばこする人の灰皿不携帯率は高いようです。

とまぁ、時代の変化や時勢に伴って生活様式も変わると、『変化』と『新たに起きる問題』というのはセットなのでしょうね。残念ながら。

とはいえ不思議なのが、考えるまでもなくマナー違反だというのに、どうして人はそういった行動をしてしまうのでしょう。
ここで興味深いのは、マナー違反は集団であるほど起きやすくなるということ。

例えば、飲み終えたペットボトルが邪魔だと感じていても、周囲の人がその場に捨てずにカバンにそっとしまっていたら、おそらく大多数の人がそれに倣うでしょう。逆に、周囲の人がその辺にポイッと捨てていたら、やはり倣って自分もポイ捨てしまう人が多いのでは。
こういった現象を群衆(集団)心理と呼びます。

多くの人数が比較的近い場所で共通の関心を持った状態を『群衆』と呼びます。そして人は群衆になると理性や自制心が薄れ、極端で異常な行動をとりやすくなる傾向があるとされます。
これを『集合心』による働きと解釈したり、個人が集団に埋没した状態として『没個性化』とも名付けられています。
極端な意訳を恐れずに簡単に言うとすれば、『赤信号みんなで渡れば怖くない』というやつですかね。
数年前の渋谷でのハロウィン騒ぎなどもこの理屈で説明がつくでしょう。

自分が所属する集団も環境の一つと考えると、人は環境に大きく影響を受けます。
環境と心理の関係では、『割れ窓理論』や『地下鉄の落書き』が有名です。
建物の窓ガラスや落書きを放置すると犯罪率が上がる、つまり荒れた印象はより荒れた状況を招いてしまうという理論です。

人は単体ではそこまで悪事を働かない(働けない)が、それが許容されていると勘違いできる環境を与えられると簡単に超えてはいけないラインを越えてしまうのですね。

とすると、世の中が善人の比率が増えればもっと平和になるのかもしれません。
何をもって善か悪かという定義はまた別のテーマですけどね。

『情けは人の為ならず』という諺、ちなみに英語では「Today you, tomorrow me」(今日のあなたは明日の私)となりますが、巡る因果というスピリチュアル的な考えではなくて、単純に、善人が増えたら自分が善人に巡り合う確率も高くなる、という解釈もできるかも。

ということで、できる範囲で正しく生きよう、そう心がけたいと思った次第です。


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