2021年1月30日土曜日

心までソーシャルディスタンスしなくていい


 

お寒うございますね。

さて、非常事態宣言下での外出自粛。なかなか友人や親族など、人と会う事に制限があるこのご時世。仕事もリモート推奨ですしね。
普段から外食やお出かけなどを頻繁にしていた方からは、人と接する機会が少なくなり寂しさを感じて気分が落ち込むという声をしばしば聞きます。

一人の時間が増えることで、良くも悪くも考えないようにしていた問題を否応なく意識してしまうとカウンセリングを訪れた方もいました。
そのせいか婚活市場はコロナ禍以来賑わっているそうで、やはり人は一人では生きてゆくことは難しいのだなと、改めて考えさせられます。

何故、人と関わらないことがそんなにも苦しのでしょうか。
そんな問いの一つの答えが『ストローク』という概念です。

交流分析という心理療法・分析理論の中の概念なのですが、創始者であるBerne.E(エリック・バーン)曰く、「あなたがそこに居ることを私は知っているという存在認知の刺激」という意味を指します。
要するに、自分が存在していることを他者が認めてくれると確かめられるような行動、という事でしょうか。

触れてくる、話しかけてくる、目線を合わせてくる、微笑みかける、などの行動は相手が居ないと成り立たないわけで、自分に対してそれをしてくれるということは、存在を認めてくれているということです。透明人間じゃなく接してくれていると言えばわかりやすいかも。
そんな『ストローク』には肯定的・否定的や条件付き・無条件など種類があるのですが、それはまた別のお話で。

今日お伝えしたいのは、この『ストローク』のことを創始者エリック・バーンはこうも言っています。
「人はストロークを得るために生きているといっても差し支えない」
つまり、我々は他者と関わることで自分の存在を認識してもらうことが生きる目的と言えるほどに大切なものなのだ、そう重要視しているのです。

人と会う事への制限がかかる現状は、我々の『ストローク』を得るチャンスに大きな障害となっています。
さして意識をせずに、朝は出社や登校したら挨拶をして、話しかける時には目を見て、親しい相手とはボディタッチをして、そんなこれまでは当たり前のように行っていた行動の一つ一つは、自分という存在を他者との接触によって確かめる大切なものだったのだと再確認させられます。
いつまで続くのはわからないコロナ過の中で、私たちは今ある『ストローク』をもっと大切にしていかなければならないのかもしれません。

直接会うことはできなくてもメールや通話はできます。
着信音はある意味「ねぇねぇ聞いてよ」というメッセージと思えば無機質な電子音も温かみを感じられるかもしれません。
一回のチャンスで伝えられるストロークが足りないなら、電話やメールの数を増やすことで回数で補えるかもしれない。
ボディタッチや視線でコンタクトができないなら、文章や言葉にその気持ちを加える工夫だってできるかも。
例えば、相手の目を見て笑顔の表情で「がんばってね」と伝えたなら、言葉以上のメッセージが伝わります。同じ気持ちを言葉だけで伝えようとするなら「〇〇さん、がんばってね(*^^)v」と名前を呼んで顔文字をつけることで少しは気持ちが乗せられるかもしれない。

これまでと同じは無理でも、少しでも心の距離を近くする工夫はできるはずです。

感染対策としてソーシャルディスタンスは必要なのでしょう。
ですが心の距離まで離してしまう必要はなく、身体的な距離が近づけないからこそ心の距離をこれまで以上に近しく感じられるコミュニケーションを努力することが必要な状況なのかもしれません。


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2021年1月20日水曜日

震災から26年


26年前の1月17日、阪神・淡路大震災が発生した時、私は高校生で関西に住んでいました。
早朝に大きな揺れで一度は目が覚めたものの、被害はなかったので二度寝をして目覚ましで起きてテレビをつけて。ブラウン管に映っていたのは見慣れたはずの街の変わり果てた姿でした。
私の住む地域は大きな影響はなく、通っていた学校の壁にヒビが入って、机の上にコンクリ粉が降っていたくらいでしたね。
まさかあんなに大きな震災だったとは思いもよらず目を疑ったことを覚えています。

あれから26年経ちましたが、大切な人を失った方々、思い出の家や場所を失った方々の気持ちは、どれだけ時が経ってもなかったことにはならず、今でも思いと共に生活されている方も少なくないのだと思います。

そんな中、お笑いトリオ「安田大サーカス」の団長こと安田裕己さんのエピソードが話題になっているようです。
震災に遭い、親友も亡くされているのだとか。

そんな団長さんが、現在のコロナ禍と災害は共通するところがあると感じるところがあるとのことで、このようなことを仰っていました。

「『非常事態やから、みんなで頑張らなあかん』と無理をしたら、すぐに限界がくる」と経験上、知っている。だから、「他人を助けられるのは、自分に余裕があるときだけ。『頑張りすぎたらあかん』」と呼びかけることにしている。

これは本当にその通りだと思います。
他人を助けるのもそうだし、自分自身を助けるにも同じです。
そして、余裕を持つためには『自分を一番大切』にしていることが大切だと私は考えます。

カウンセリングに悩みを持って訪れる方に多いのですが、自分を一番に考えられていないというのはあまり良い傾向とは言えません。
自分を最優先にする、自分にわがままになる、とも言えるでしょうか。
勿論実際にいつも自分中心で物事を判断できない現実はあるでしょう。仕事だったり家族だったり、時には自分を犠牲にしても優先しなければならないことだってあります。

ですが、『何をするべきか』ではなく『何がしたいか』を常に自分に問いかけることは忘れてはいけません。

そう自問自答した末に、自分よりも何かを最優先するのであれば、それはもう自分の決断となります。自分が決断したことは不思議と後悔せずに納得できるものです。

ですので私はカウンセリングの中では常に、相談者様を一番に考えています。当人がそうできないでいる分、カウンセラーである私がその人のことだけを考えるようにしています。
色々な事情や状況もあるでしょう。ですがまずは自分を一番に考えてみる。
「自分はどうしたいのか」
それが明確になって初めて取捨選択が可能になると考えます。

これからカウンセリングを考えている方、
私が「あなたはどうしたいのですか?」と尋ねたら、どうぞご自身のことを一番に考えた、わがままでもいい、自分勝手で自己中心的なお答えを仰ってください。きっとそこが解決のスタートになります。
そしてもし、それがわからないという場合も安心してください。一緒に探していくのもカウンセリングです。


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2021年1月18日月曜日

餅は餅屋理論



肌寒いでございまさぁね。
年を取ると若い頃に比べて寒さに弱くなった気がします。

基本的な防寒対策として衣服があります。冬になれば厚着をして少しでも寒さから身を守ろうとするわけですが、私は防寒着に助けられて冬を越しているといっても差し支えないほどに厚着をしています。
体が冷えると免疫は落ちるし自律神経も乱れるしと、良い事ないですからね。

そんな防寒着は、コートにマフラー、セーターなど色々な種類がありますが、私の持論として『餅は餅屋』理論があります。

言うまでもないですが、『餅は餅屋』とは何事においても専門家に任せるのが一番良いという諺です。

防寒着は色々なメーカーが販売しているわけですが、やはり特化した、それも由緒のあるメーカーが機能的にも優れているということになります。
例えば、登山用品を専門にしているメーカーが思いつくでしょう。実際ここ数年は登山メーカーの商品が人気ですよね。
登山メーカー以外でもダウンジャケットは防寒着メーカーとして人気のあるブランドや、羽毛布団メーカーとの共同開発商品は、やはり群を抜いて暖かいです。

そしてこの法則は、防寒着だけでなくほぼ全てのものに言えると思います。
ニット製品、パンツ、シャツなども長い歴史や原材料へのこだわりを持ったブランドは着心地も段違いですし、服飾品だと靴・鞄・メガネ・文具なども専門のメーカーの品質の高さや使い心地の良さは一度知ったらもう戻れません。
昔は好きなブランドで全身を固めるというようなセンスだったのですが、年齢を重ねるにつれてブランドネームではなく品質に重きを置くようになりました。

さて、私は心理カウンセラーという肩書きで仕事をしているわけで、こと心理カウンセリングに関しては専門家だと自負しています。つまり心理学的アプローチや心理療法に関しては餅屋です。
ですが、だからと言って心理に関するすべてにおいて専門家であるというほど傲慢ではありません。
精神疾患の治療としての薬物療法なら専門家は医師をはじめとする医療従事者ですし、産業領域でのキャリアサポートにも、療育(発達支援)にも、介護支援にも、それぞれの領域に専門家が存在します。
そんな、それぞれの専門家がそれぞれの得意領域での能力を発揮することができる連携という形が理想となります。

先ほどのダウンジャケットの話もそうですよね。防寒着を作る服飾メーカーだけでは完成せず、羽毛を育てる専門家や、我々の元に届けるバイヤーも存在して初めて、商品として手にすることができます。
一人で全部やろうとするのではなく、自分のできること・できないことの適用範囲をしっかりと自覚した上で専門性を発揮することが、専門家としての責任であると思っています。

そして心理カウンセリングという領域は特殊なところもあり、様々なニーズや悩みを持った方が訪れる初めの場所であることが少なくありません。
「どうすればいのか」「自分に何が必要なのか」「自分はどうなりたいのか」「自分の悩みとは何なのか」「自分は今どういう状態なのか」
そんな行き詰ってしまった時にカウンセリングで整理をしたり気持ちを処理することで、相談者様にとって必要な答えが見つかるお手伝いという役割もあると考えます。
ある意味、心理カウンセリングに限らず、様々な悩みの解決のスタートのお手伝いをする専門家という側面もあるのかもしれません。


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2021年1月9日土曜日

イルカショーを見ていると涙が出る?


 

今日の記事タイトルを見て、共感できる方と意味が分からない方に分かれるかもしれません。何かの比喩ではなくそのままの意味です。

私自身の話なのですが、水族館で行われるイルカショー(イルカパフォーマンスと呼んでいる施設も多いようです)を見ていると、自然と涙が溢れてくる感覚があります。
不思議に思いネットで検索してみたところ、予想以上に同じ現象を経験している方が多く驚きました。
どうですか?心当たりのある方いらっしゃいませんか?

涙が出るという方たちでも理由は様々で、
「健気にショーを頑張るイルカに感動して」「一生懸命頑張る姿に子供の頃の自分を投影して」など。中には「人間の都合で無理やりにショーをさせられているイルカがかわいそう」という意見もありました。
勿論感じ方や感情の種類は人それぞれですが、私の場合はそのどれもしっくり共感に至らない。
敢えて言うのなら『心の琴線に触れた何か』が涙という形で表現されていて、特定の感情に対しての涙ではないような気がするのです。
こんな職業ですからね、自分の感情が明確でないというのは少し納得できなくて考えてみました。

そこで行き着いたのが『ドルフィンセラピー』です。
『イルカ介在療法』とも呼ばれ、歴史はそれほど長くはないものの治療効果は様々な研究で認められているそうで、主に自閉症スペクトラム障害や精神疾患、身体障害のリハビリに効果的とされているそうです。
現段階では治療理論は確立しているとは言い難いようですが、アニマルセラピーの一つとしては今後の発展が期待されます。
要するに、理由はよくわからないけれどイルカと触れ合うことで癒し効果はあるようだ、という感じですかね。

私なりの考察としては、一つはイルカという生物の知能の高さがあるのかと思います。
イルカはとても好奇心が旺盛で、野生下でも遊びに道具を用いたり、仲間同士で遊びを共有するというコミュニケーション能力にも長けた行動が見られるそうです。それは『共感力』の高さとも捉えることができ、同じく共感力が高い犬もドッグセラピーに用いられるところを見ると、この共感する能力というのがイルカに対して感じる感情に関係があるのかもしれません。

そしてもう一つは『エコーロケーション』。
超音波を使って視覚を補ったり、仲間同士のコミュニケーションにも使います。個体差はあるようですが何十種類も使い分けるイルカもいるそうで、それだけ複雑なコミュニケーションが取れるということですね。
そしてその超音波は我々人間にも知覚できるわけで、言語は違えども気持ちのこもった声は何かしらの影響を与えるのかもしれません。
つまり、イルカは人間とコミュニケーションを取れるのではないか?という前提が成り立ちます。

そして最後に、イルカの純粋さ。
人間のように複雑でなく純粋な気持ちを声(エコーロケーション)で、いっぱいの好奇心を込めて送ってくるイルカに対して、私たちは理屈でない心を感じ取っているのではないかと。
「いっしょにあそぼうよ!」
そんな純粋な気持ちをまっすぐにぶつけられたら、世間ずれしてしまって私の汚れた心(笑)でも心打たれてしまい、感情が溢れてしまうのではないかと、そう考えました。

『涙』というのは悲しさの象徴と思われる方も多いかもしれませんが、私の考えでは、沸き起こる感情が表現しきれなかった際に涙として溢れてくるものだと考えています。
だって、確かに悲しいと涙は出ますが、嬉しくても泣けてくるでしょう?

私はカウンセリングの中で、相談者さんの純粋でまっすぐなありのままの感情を受け止めた時に、自然と涙がこみあげてくる経験を幾度もしています。
(自己投影の類の涙でないことは自己分析や教育分析を通して自覚しています)

イルカショーを見ると泣けてくるのは何故か?について自説を長々と書いてしまいましたが私の結論としては、とても素直な生き物と気持ちが通じ合うことに感動して泣けているのだな。
ということで納得しました。


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2021年1月4日月曜日

中年の危機



人生を段階的に分けるという考え方があります。
心理学でも発達心理学という分野があり、発達というと子どもの成長というイメージが強いかもしれませんが(乳幼児発達検診とかありますしね)、成人後も含めて人生は生涯を通して変化・成長が続くという考え方が近年では一般的です。

乳児期から老年期まで8つに分けたり、もう少し大まかに4つに分けたりと、様々な研究者が説を唱えていますが、その中で30代後半から40歳あたりの青年から中年にさしかかる転換期を『中年の危機』として、捉える説があります。

中年期は、身体的な加齢による衰え、ライフサイクルの変化、仕事面での出来事など、心理的な危機が起こりがちで、うつ病等の危機に陥りがちな年代ということです。
程度の差はあれども、実に80%の人がこの中年の危機を様々な形で経験するとされています。

青年期までの人生はピークに向かって上昇しますが、中年期以降は喪失やその喪失を緩やかにするための維持が必要になっていきます。
青年の『思春期』になぞらえて『思秋期』とも呼ばれ、春から秋へと一年の終わりが、つまり人生の終わりが見えてくる時期ということですね。
日本でも、男性42歳、女性33歳・37歳の『厄年』という概念が丁度一致しているのも興味深いです。

この『中年の危機』を上手く乗り越えられないと、うつ病などの心理的な問題だけでなく、その後の人生の充実にも問題が起こりかねないとされます。
具体的には、自分のこれまでの人生の価値を認められなかったり、これからの人生への期待を持てなかったりと現実的な生活への支障が危惧されます。

そんな『中年の危機』を乗り越えるにはどのような方法があるのでしょうか。
もちろん、危機の要因は人それぞれなので、唯一絶対の方法という都合の良いものはないのですが、それでも共通していえるレジリエンスはあります。
(レジリエンスとは、人が困難や逆境の中にあっても心が折れることなく、柔軟に生き延びようとする力・要因のこと)

それは、葛藤を認めること。
中年期になると、これまでよりさらにシビアな葛藤を迫られます。
『老い』『死』『別れ』などが主でしょうね。それら葛藤は辛いものですが、目を背けることのできない現実です。
だからと言って、立ち向かえ!などと厳しいことを言うわけではありません。葛藤の苦悩をなかったことにして心の深くに押し込めて我慢してしまうのではなく、葛藤している自分自身を許してあげることです。

それは、自分の人生を振り返り、ありのままを受け容れることとも通じるでしょう。
これからの人生にあたり、これまで得てきたもの、技術や人脈、物質的なものも含むそれらの資源をこれからの人生にどのように活かしてゆくか、また老いとともに失ってゆくものを如何に維持してゆくか、中には諦めて手放さなければならない苦渋の決断を求められることもあるでしょう。
それら変化を様々な方向性から検討し、重きを置くものや手放すもの、形を変えてゆくものを自分の意志で選択し、自分にとっての納得や落としどころを見つけてゆくこと。

つまり自分の人生そのものと向き合うという心構えを整えることで、乗り越えることができると考えられます。

その為には周囲のサポートが必要になります。
家族や仲間たちや専門家の助けを借り、『これまで』と『これから』を繋いでゆく作業が効果的です。子供が成長する為に大人のサポートが必要なように、大人だって成長する為には助けが要るのです。
どうか、一人で乗り越えようとせずに周囲の力を借りて中年期を乗り越えましょう。


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2021年1月1日金曜日

新年のご挨拶



昨年中は格別のご厚情を賜り厚く御礼申し上げます。

なにとぞ本年もよろしくご愛顧のほどひとえにお願い申し上げます。


波乱の2020年から2021年になりました。

今年はどんな年になるのでしょうね。

とはいっても年が明ければリセットされるわけではないので、昨年の課題はまだ継続中なわけでして、なにはともあれコロナ禍が終息、せめて収束してくれることを願うばかりです。

さて新年最初のブログではいつも今年の抱負なるものを宣言しているのですが、今年は実はまだ決めあぐねています。ちなみに去年は『プライベートを充実させる』だったのですが、正直達成できた実感はありません。色々と制限が多い一年でしたからね、行きたい所もやりたい事もあったのですが、積み残しとなってしまっていることばかりです。

ということで、今年の抱負は『何か新しいことを始める』ということにしましょう。

フワっとしてるな、と思われたかもしれません。でもそれでいいのです。状況の読めないこの時代、柔軟な変化が求められると思います。だからこそ敢えて目標を曖昧にすることで、選択肢を広げて目標達成の可能性を高めようという作戦です。

本当はね、目標というものは出来るだけ具体的に設定することが達成には効果的とされています。つまり、明確な目標を立てることで必要なものや課題が明確になり、努力の方向性が定まるという考え方です。確かに方法論としては正しいのですが、目標を限定してしまうことは達成の選択肢を狭めてしまうことにもなります。要は使いどころが大切ということ。

どうなってゆくのか予測が難しい現状、今現在の状況を基に計画を立てるのはリスクが大きい気がします。来月には無理なことも、再来月には可能になっているかもしれない。先が読めないということは、良くなる可能性も含んでいるわけです。

だからこそ、今の時点でできる最善を行うことが大切だと思うのです。

2021年が終わる時に一年を振り返って「ああ、今年はこんなことをしたな」そう思えたら目的達成です。小さな変化かもしれないけれど、その一歩が後に続く大きな達成へと続く一歩だと信じて。

長い人生、しんどい時はあるものです。上手くいかない時もあるものです。そんな時は何か一つでもいいから行動してみましょう。今は意味が分からなくたって構いません。意味は後から作ればいいのです。

そして最も大切なことは、その変化を自分自身がちゃんと認めること。

その為にも、日々の生活を丁寧に実感を持って、自分の気持ち一つひとつを大切に慈しむように、自分の行動に自覚を持って納得して生きてゆきたいと思います。

そんな私は今年も、相談者の皆さまの人生にほんの少しでもお手伝いができる存在であるよう精いっぱい努力してゆきます。


※名古屋 栄カウンセリングは、2020年12月31日(木)~2021年1月4日(月)の期間でお正月休みを頂きます。
お問い合わせフォームは稼働しておりますが、ご対応は1月4日からとなります。
ご理解頂けますようお願い申し上げます。

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