2016年7月18日月曜日

自然な状態で存る


今日は所要で、覚王山の方へ行く機会がありました。
時間に余裕があったので城山八幡宮へ。駐車場に車を停めて、いざお参りへ。
城山八幡宮は、境内へ向かう途中の階段や順路が森に囲まれており、夏の暑さも和らげてくれる神聖な涼しさがあります。

森林というのは癒しを与えてくれます。特に私は好きで、心が疲れたりストレスが溜まると、優しく木漏れ日の降る森林に行き、リフレッシュをします。
地元である京都に住んでいる時は、近くにそういった場所も多かったので不便することはなかったのですが、名古屋はさすが都会ですね。あまり森林に囲まれた静かな場所にめぐり逢えず、そんな中で城山八幡宮は機会があると訪れたいスポットの一つです。

人は何故、森林に癒しを感じるのでしょうか。
私の感覚では、植物は『ありのままの姿』でそこに存在しています。偽ることも飾ることもなく、自然のままに伸び、曲がり、葉を茂らせ、花を咲かせ、純粋に生きています。
そんな植物に囲まれることで、自分も『ありのままの存在』でいられるような、そんな気持ちになるのではないでしょうか。

理想的な心理カウンセラーの条件の1つに、『自己一致』というものがあります。
意味するところは、純粋でありのままの自由な存在であること。

それは心理カウンセラーの条件であると共に、相談者にとっても理想や目的ともなる、とても大切な概念です。
ありのままの自由な存在であること。本来なら当たり前のことのはずなのに、それがとても難しくなってしまう。そんな現代では、『好く生きる為の指針』として、大切な思想なのだと思います。

私が、ありのままの植物に癒しを感じるように、相談者の方々にとっても我々カウンセラーが傍らに存在することに癒しを感じてもらえるよう、ありのままの純粋な存在でいたいと常々思います。

 
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カウンセラーの学びに必要なこと


先日、私が講師をしているカウンセラー養成学校の基本コースの最終講義を終えました。
私は最後の講義では、受講生の皆さんにこの一年学んだ感想を伝えてもらいます。
講師を始めて8年ですが、何度経験してもこの瞬間というものは胸が熱くなります。

一年間んだ感想で多く語られるのが、『自分と向き合う』という経験に対しての感想。
カウンセリングや心理学を学んでいく上で自分と向き合うという作業は、時に辛さを伴いますが、必要な経験でもあります。
こう言うと、『自分と向き合う経験』=『カウンセリングを学ぶこと』だと伝わってしまいそうですが、実はそれは半分正解です。

あくまで学びの目的は、心理カウンセリングを他者に提供できるようになる為の技術や心構えを学ぶこと。
その為に、自らと向き合う必然性が生じるということといえます。

あくまでも目的はカウンセリングの習得にあります。
少し強い言い方をしてしまうと、
自分と向き合ったからといってカウンセリングが上手になるわけではありません。
カウンセリングが上手になる為に、自分と向き合う必要がある。そう表現するのが正しいのだと私は思います。

技術や知識だけを得るだけでは、本当の意味で相談者の援助ができる存在にはなりません。
その知識や技術を習得する過程で、自らの経験や感覚が伴ってはじめて、技術や知識が生きていく。

今回私が担当した方々も、まだ終わりではなくこれから先も更に奥の深い心理カウンセリングの世界を学んでいただくわけですが、
この一年間の経験が、これからの学びの基本となってゆくと信じています。

心の世界の奥深さ、どれだけこの世界に身を置いていても底を知ることはないと、つくづく感じます。


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2016年7月12日火曜日

ゾンビの気持ち


最近の私の楽しみの一つ。
海外ドラマを見ること。

通販サイトamazonの新サービスで、映画やドラマなどの動画が見放題という会員特典がありまして、前から気になっていた海外ドラマ『ウォーキング・デッド(原題:The Walking Dead) 』を見ています。

所謂『ゾンビもの』とされるジャンルですが、ただのパニックホラーではなく、ゾンビという非日常に支配された世界での人間ドラマの側面が描かれており、それが人気の要因なのだと思います。

そんなドラマ『ウォーキング・デッド』の作中で、
「ゾンビを殺すかことは是か非か?」という問いに対しての葛藤が描かれます。

「ゾンビだから退治(殺)してもいいじゃないか」
「いや彼らは人間だ」

そんな対立が登場人物たちの価値観や背景を通してなされます。

心の哲学における思考実験に『哲学的ゾンビ』という命題があるのですが、言葉の定義というのはとても曖昧なものです。
平時ではぶつかり合うことのない価値観が、ドラマの作中の非常時では否応もなく論議されます。

自分にとっては常識だと思っていた事柄でも、
他人にとっては非常識なものであることがあります。

カウンセリングの中でも、相談者さんの価値観に驚かされることがしばしばあります。
皆さんも、人の悩みを聞いた時に、

「え、どうしてそんなことで悩むの?」
「そんな風に自分を責めてしまうんだ?」

そんな風に思ったこと、ありませんか?
自分にとっては簡単な問題でも、それに悩む人だっていれば、
逆に、自分にとっては重い悩みでも他人からすれば取るに足らない問題かもしれません。

悩みというものは、その人の価値観が強く反映しています。
ですので、悩みの表面的な事柄だけでは本質は理解できません。

ただ、「○○で悩んでいる」だけで理解しようとしてしまわずに、
「その悩みを本人はどのように捉えているのか」
ということをしっかりと理解する必要があります。

なので我々は、こう尋ねます。
「もっとあなたのことを教えてください」

そこから悩みの解決ははじまります。
 

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2016年7月9日土曜日

休息と充足


疲れてしまった時、
『体』には休息が必要になります。
そして
『心』にも休息が必要といわれます。

心が疲れてしまった時などは
「しっかりと心を休めてくださいね」
そんなアドバイスを専門機関でされることも少なくありません。

そんな、『休息』とはなんでしょうか?
よく寝る、あまり疲れさせて負担をかけない、規則正しい生活をする、お酒を控える、などなど
体の回復は比較的わかりやすい休息方法があります。

しかし、心の場合はどうでしょう。
確かに、よく寝る、負担をかけない、規則正しさなどは効果的でしょうが、それだけで心は回復するのでしょうか。
確かにそれらも必要です。たくさん使い、すり減り摩耗してしまった心には『休ませる』という休息も必要です。

しかし、本当に心に必要なものは『休息』ではなく『充足』ではないでしょうか。
なにかしら、満ち足りた、満足する体験をすることで心の体力は回復します。

「最近ストレスばかりで疲れてしまったから休息しよう」
そう考えて、一日寝てしっかり休んでも、体は回復するかもしれませんが、心の回復は不十分だったりします。

例えば、カラオケでストレスを発散する、欲しかったものを買って物欲を満たす、旅行に行きリフレッシュする、好きな人と過ごして幸せを感じる、などなど。
そういった、ある意味体力的には疲れてしまうことでも、心の充足には効果的な行動があります。

もちろん状況にもよります。
良い悪いの関係なく大きな刺激を避けて過ごすことが求められる状態だってあります。
そうして傷ついた心が癒えることもあります。
しかし、心の癒し方、回復のさせ方はそれでけではないということです。
休息を取ることも、充足を得ることも、心の回復には効果的です。


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2016年7月8日金曜日

生きるって事は、 変わるって事さ。


栄にある中日ビルが開業50周年なのだとか。
オフィスが近いので毎日のように横を通るのですが、そんなに歴史のある建物だったのですね。

私の母が昔、「中日ビルの回転展望レストランで食事をしたことがある」
と言っていたのですが、残念ながら展望レストランは2000年に閉店してしまったようです。

時と共に街並みは移ろいますが、思い出の中の景色というのはどれだけ年月が経とうとも、褪せることなく残ります。
私が生まれ育った京都の街並みも、ずいぶん様変わりしていくのを感じます。
おそらく他府県に比べて、変化をあまり求めない(好まない)ことが美徳の土地であろうに、
それでも帰京の折に、数年ぶりの場所へ赴いてみると、その変化に驚かされます。

変化は決して悪いことではなく、むしろ『発展』『適応』などの結果だというのは頭では理解できるのですが、やはり馴染みのある風景が変わってしまうことには一抹の寂しさを感じてしまいます。

本来人は『変化』を望まない生き物です。
「いつもと違う」「未知なもの」に対してはむしろ恐怖を感じてしまいます。

悩み事の渦中や辛い環境の中でも、変化を拒むことは珍しくありません。
「今より悪くなってしまうかもしれない」
「今だって満足ではないけれどなんとか生きていられている」
そんな思いが変化を妨げます。
もちろん変化というのは、今よりも良くなることもあれば、その逆もありますが、
変化がなければ改善もありません。

『現状維持』というと安全策のように耳心地はいいですが、
『停滞』してしまうと改善という変化が困難になります。
カウンセリングで大切なのは、現状を受け入れることとともに、変化を恐れないこと。
その変化をより良いものとするためのサポーターが我々カウンセラーです。



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2016年7月7日木曜日

笹の葉ラプソディ


今日は7月7日、七夕ですね。
七夕といえば、短冊に願い事を書いて笹の葉に飾るという行事ですが、
年に一度しか会えない夫婦に願い事をするというのも何とも不思議ですが。

七夕については去年も謂れなどを記事にしてましたね
七夕といえば、夏の大三角で白鳥座のデネブだけ仲間外れでかわいそう

願い事というものを皆さんはどのように捉えるでしょうか。
大別すれば、
「願い事が叶いますように」と祈ることに肯定派の人と、
「自分の願い事は自分で叶えるべきだ」という他力本願を否定する派と別れるのではないでしょうか。

私はというと、『願い事』肯定派でして。
とはいえ、神様が叶えてくれるというのはあまり期待していません。
信心がないわけではありませんが、やはり個人の願いを叶えてくれるほど神もミクロじゃないのでは、とそう思います。

なら何故願い事をするのか。
それは、『意思確認』だと思っています。
自分の願い事、望みを『願い事』として、明確に意識することとその意思を表明することで、願い事に対する意欲が高まると、そう考えます。

よく自己啓発系で、「目標を紙に書いて目立つところに張れ」なんていうのがありますが、
それも同じ効果だと思います。

願い事、つまり欲求というのは、内的なものに留めてしまっている時は、曖昧模糊で漠然としてしまいがちです。
明確でない目標というのは実現することが困難です。
だって、「なんとなく」望んでいることを実現する方法は「なんとなく」しか思い浮かばないから。逆に、目標の姿が明確に具体的になればなるほど、それを成す方法も具体的に思いつきます。

そういう意味で、自らの願い事は『外』に表現する必要があります。
そうして初めて、願い事のイメージ像が明確になっていきます。

私はカウンセリングの現場で、いつも尋ねることがあります。

「あなたはどうなりたいのですか?」

理想の姿を語ることが、理想に近づく第一歩です。


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名古屋は不人気都市?


今日ニュースを見ていたら『二度と訪れたくない都市』というランキングで名古屋が上位だとか。
理由としては、「何もない」「あまりぱっとしない」「個性がない」などが挙がっているそうです。
私も名古屋に来てもうずいぶん経ちますが、結構住みやすい都市だと思うんですがねぇ……。

そう思ってみると、このランキングは観光などの目的で「訪れた」人の意見なんですよね。
確かにそういえば思い当たることがないでもない。

名古屋に住む前に何度か仕事で訪れた時や、移り住んでしばらくは、
「なんだか住みにくい土地だなぁ」
そんな風に思った覚えもないではありませんでした。
そう思った具体的な理由は今はもう忘れてしまいましたが、慣れない頃は確かに「とっつきにくさ」を感じていました。

しかしそれから数年、今ではもう一生住む予定で持ち家暮らしです。
『住めば都』なんて言葉がありますが、それだけで片付かない要因もありそうな気がします。

私なりの結論ですが、
「名古屋は住むには良い都市」なのではないか、と。

確かに、独特の雰囲気や習慣などは他の都市に比べて特徴的なのかもしれません。
なので、外から来訪するとその違和感を感じやすい。
その反面、中に入って慣れてしまうととても居心地が良いんですね。

その国にはその国の、都市には都市の、町には町の特色というのがあります。
多少気難しい所があるのかもしれませんが、私にとっては肌の合う都市です。
 

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2016年7月3日日曜日

うつから見える男女の差


今日は突然の雨。
丁度出掛けていて、すっかりずぶ濡れてしまいました。
梅雨の時期は天気が読めないですね。折りたたみ傘の携帯の必要性を感じました。

移り変わりやすい空模様と女性の気持ちをかけた諺で、『女心と秋の空』などと申しますが、
(今は秋ではないですが、不安定な天候ということで)
移り変わりやすいのは何も女性の心だけではありません。
確かに女性の方がエモーショナルな表現が多いな傾向はありますが、じゃあ男性はエモーショナル

ではないかと言われれば、決してそういうわけではありません。
男性も移り変わりやすい心を持っているのですが、それを表現しない傾向にあるというのが正し表現かもしれません。

これは、臨床の場でカウンセリングをしていると、女性のクライエントさんは、比較的自由に感情を語ってくれるのに対して、
男性のクライエントさんはどうしても感情を抑え込んでしまう場面が多い気がします。
逆に、カウンセリングが進んでゆき、強い感情が揺り動かされた時はむしろ男性の方がエネルギッシュで強い感情表出が起きることがあります。
社会的な役割か、性差の意識なのか、どうしても感情的に表現することを避けてしまうようです。
その分、抑圧されるものも多いのでしょう。

実際に『うつ』の発病率は女性の方が多いのに対して、
うつの自殺率は男性の方が多いという統計があります。

女性は感情が大きいので、精神的ショックの機会が多くうつなどを発症しやすい傾向にあると言われます。(女性ホルモンの影響なども挙げられますが)
男性は自分の感情に鈍感なうえ、弱いところを見せたがらないという傾向が強く、うつになっても症状が重篤になるまでSOSを発せないというデータがあります。

愚痴を吐き出したり、弱音を吐いたり。
『男らしさ』には反するかもしれませんが、心の健康には大切なものです。


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