2021年5月23日日曜日

雨音の癒し効果



今年は例年より早い梅雨入りだそうで、しばらくは雨の多い日が続くのでしょうね。

梅雨に限らず雨というのは気持ちが滅入ると言われがちですが、最近は雨の音に癒されるというリラクゼーションミュージックなるものもあるそうです。
なんでも、f/1揺らぎを有していて安眠効果もあるのだとか。

確かにリズミカルな雨音は音に集中できて気持ちが落ち着くかもしれません。
そもそも、単調な音というのは気持ちの平静をもたらすものだそうで、刺激の少ない単調なのリズムや一定間隔で線路が鳴る電車の音、そういわれてみれば、私はお経の際の木魚の音なども気持ちが静かになる感覚を受けます。
(ちなみにお経の際に木魚を鳴らすのは居眠り防止という説もあるとか)

この単調な音に対する癒し効果の理由として、母体にいる頃の母親の心音を彷彿とさせるという説もあるのだとか。
そもそも暗くて狭くて暖かい場所を好む傾向を『胎内回帰願望』と呼びます。
我々人間は、究極の安全空間として母体というのを潜在的に求めているのかもしれません。
押し入れなど狭い空間が落ち着く、毛布を頭からすっぽりかぶると安心できる、なども近いのでしょう。

母体とまでいかずとも、人は成長して大人になってからも子供時代に対する回帰願望というのは往々にして見られます。
わかりやすいのが恋愛で、成人が恋人に望むものは子供の頃に親(特に母親)に望んでいたものに近い気がします。
例えば、身体的な素肌の接触による心地よさというのは、子供の時は親に求め、大人になってからは恋人に求める。その根底には、かつて親に抱かれた時の安心感や安全を求めるという側面もあるのではないでしょうか。

我々は生きている限り外部からのストレスを受けており、自覚・無自覚に関わらずそれらストレスを癒すことを望んでいるのでしょう。
特に近年、リラクセーションやストレスケアのコンテンツが人気ことからも、現代人はとても多くのストレスを抱えていることがわかります。
そんな中だからこそ、心を穏やかに安定して過ごすためにも、自分なりのストレスケアの方法というのを持っておくというのは大切なことなのだと思います。


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2021年5月8日土曜日

集団心理におけるマナーとかそういう話



さて、最近はコロナ蔓延防止の一環として夜の飲食店や酒類の提供の自粛が行われていますが、そういったこれまでとは違うことをすると、どうしても新たな問題も生まれてしまうもので。

顕著なのは、いわゆる外飲みでのゴミ持ち帰らない問題だとかですね。
外飲みの是非はともかくとして、ゴミは持ち帰ろうというのは子供の頃から定番で教え込まれているマナーのはずですが、何故か守られない。

他にも、コンビニなど商店での買い物袋が有料化されてから、明らかに街にゴミが増えたと感じます。
私のオフィスは名古屋の繁華街付近にあるので特に実感します。朝の出勤時など、おにぎりやパンを食べ歩きしたであろうゴミが道路のあちこちに放置されています。

また、歩きたばこ禁止区域が増えたことで灰皿が街から減りました。その結果、吸い殻のポイ捨ても増えました。そもそも歩きたばこをしている人は以前から一定数見かけていましたが、灰皿が無くなったことでポイ捨てせざるを得ないのでしょう。百歩譲って携帯灰皿という便利アイテムもありますが、歩きたばこする人の灰皿不携帯率は高いようです。

とまぁ、時代の変化や時勢に伴って生活様式も変わると、『変化』と『新たに起きる問題』というのはセットなのでしょうね。残念ながら。

とはいえ不思議なのが、考えるまでもなくマナー違反だというのに、どうして人はそういった行動をしてしまうのでしょう。
ここで興味深いのは、マナー違反は集団であるほど起きやすくなるということ。

例えば、飲み終えたペットボトルが邪魔だと感じていても、周囲の人がその場に捨てずにカバンにそっとしまっていたら、おそらく大多数の人がそれに倣うでしょう。逆に、周囲の人がその辺にポイッと捨てていたら、やはり倣って自分もポイ捨てしまう人が多いのでは。
こういった現象を群衆(集団)心理と呼びます。

多くの人数が比較的近い場所で共通の関心を持った状態を『群衆』と呼びます。そして人は群衆になると理性や自制心が薄れ、極端で異常な行動をとりやすくなる傾向があるとされます。
これを『集合心』による働きと解釈したり、個人が集団に埋没した状態として『没個性化』とも名付けられています。
極端な意訳を恐れずに簡単に言うとすれば、『赤信号みんなで渡れば怖くない』というやつですかね。
数年前の渋谷でのハロウィン騒ぎなどもこの理屈で説明がつくでしょう。

自分が所属する集団も環境の一つと考えると、人は環境に大きく影響を受けます。
環境と心理の関係では、『割れ窓理論』や『地下鉄の落書き』が有名です。
建物の窓ガラスや落書きを放置すると犯罪率が上がる、つまり荒れた印象はより荒れた状況を招いてしまうという理論です。

人は単体ではそこまで悪事を働かない(働けない)が、それが許容されていると勘違いできる環境を与えられると簡単に超えてはいけないラインを越えてしまうのですね。

とすると、世の中が善人の比率が増えればもっと平和になるのかもしれません。
何をもって善か悪かという定義はまた別のテーマですけどね。

『情けは人の為ならず』という諺、ちなみに英語では「Today you, tomorrow me」(今日のあなたは明日の私)となりますが、巡る因果というスピリチュアル的な考えではなくて、単純に、善人が増えたら自分が善人に巡り合う確率も高くなる、という解釈もできるかも。

ということで、できる範囲で正しく生きよう、そう心がけたいと思った次第です。


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2021年5月3日月曜日

年を取ると涙もろくなるのは何故


 

春先は家庭の庭先や街路樹で色鮮やかに咲くツツジがよく見られ、赤白ピンクと色とりどりで綺麗だなぁとつい通勤途中でも見入ってしまいます。
子供の頃はツツジなんて蜜が吸える花、程度の認識しかなかったんですけどね(笑)
(ちなみにレンゲツツジの蜜には毒もあるそうなので吸うのは控えたほうがよいみたいです)

私の実家の庭にも、ツツジに限らず色々な花が咲いていたのですが、若い頃はとんと興味がなかったものです。
それこそ、旅行に行っても景色よりご当地の食べ物や買い物が目的で、景観に心を動かされるという発想はあまりなかったように記憶しています。
ところが40歳も半ばになった今、草花や美観などいわゆる美しとされているものの良さが理解できる自分がいることに内面の変化を感じます。

内面的な変化という意味で、年を取るにつれて情動が反応しやすくなっている気がするのです。
それがタイトルにもある、加齢に伴い涙もろくなる、という通説に繋がるのですが。
自分でも実感しつつ不思議に感じます。
加齢に伴い人生経験が増えてくれば、逆に新鮮さが無くなり鈍化するようにも思えるのですがね。

そこで私の専門である心理という側面からの仮説をひとつ考察してみました。
日々の生活でストレスや負担を感じているにもかかわらず、我々大人というのは感情を出す機会が極端に少ないのではないかと思うのです。その結果として、小さな刺激に対しても過度に反応しやすくなっているのではないかと。
例えるなら、ダムの水量が常に表面張力ギリギリで簡単に溢れやすくなている、という感じでしょうか。
抑圧された感情というのは、常に表出のチャンスをうかがっていると考えています。
なので、涙もろくなっているのではなく、張り詰めた風船のような不安定な状態の感情がゆえに決壊が容易なのではないか、と仮定します。

ちなみにとある番組では以前にこの疑問に対する答えとして、
成長すると共感力が高くなると共に、脳のブレーキが緩む。という理由だったそうです。要するに前頭葉の一部の老化現象ということで、他にも涙腺の老化で涙が出やすくなるなどもあるそうです。
確かに加齢に伴い怒りっぽくなったりする傾向はありますね。

脳の器質的な変化は要因として説得力がありますしそれも間違いなく正解なのでしょうが、やはりそれと同時に感情表出の機会の減少というのもあるのではないかと思います。

若い頃や子供の頃は、良い意味でくだらないことに対しても一喜一憂して素直に感情を表していました。
しかし大人になるにつれ、「こんなことで怒ってはいかん」「悲しむことじゃないよ」と知らず知らずに感情の価値を下げてしまっているように思います。
社会性を考えればそういった冷静さは必要なのですが、たまには自由に感情に任せてみるのも心の健康には必要なのかな、そんな風に思います。


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