2017年1月9日月曜日

大人と子供の境界線



今日は全国的に成人式が行われたのですね。
栄の街もスーツを着慣れていない若者が楽しそうにしている姿が目につきました。

成人式といえば、奈良時代から続く、元服を起源とした新成人を祝う日本特有の風習です。
つまり、成人式を境に大人として扱われるという儀式です。

しかし、子供から大人になることでどのような変化があるのでしょうか。
大人と子供の境目は一体なんなのでしょう。
社会的、法律的には二十歳というのはひとつの目安なのでしょう。
ですが、「はい、今日から大人ね」と言われても困ってしまいます。

オーストラリアの哲学者、ルドルフ・シュタイナーは人間は『7年周期』成長してゆくという発達特徴を提唱しています。
まず肉体が人間として完成して、それから精神の成熟が行われるというような説です。
(すごくざっくりな意訳なのでご容赦を)

そう考えるとやはり、『精神・心の成熟』というのがキーワードとなるのではないのでしょうか。
大人としての自覚というよりも、一人の人間としての自律。

自律という言葉を私はよく使います。
『自立』ではなく『自律』。

『自立』とは主に経済的、生活的な独り立ちを意味し、
『自律』とは自分の感情、行動に責任を持って行動できることを指します。

責任を持てと言っても、「助けてやらないから一人でやれ」と厳しく突き放すというわけではなく、
他人(主に親)の価値観や指示で人生を決めるのでなく、自分の人生を自分で決めて行くという意味です。

大人だって、周囲の人に助けてもらったり面倒をかけることがあっても構いません。
しかし、
「させられた」「やってもらった」
というのではなく、
「自分で助けを求めた」「望んでやってもらった」
というニュアンスでしょうか。

子供は自分の行動の結果を責任が取れないこともあります。
しかし大人になれば、自分の行動の結果を自分で責任を取ることができます。

そう、責任は『取らなければならないもの』ではなくて『取らせてもらえる』ありがたいものです。
責任を取れるから自分で決めることができ、自分の人生を選ぶことができる。

それが、大人と子供の境界線となるのではないでしょうか。
大人としての自覚を促すための儀式として成人式を捉える。

私自身まだまだ自分の人生の責任を取りきれてはいませんが、これからも本当の大人目指して精進していこうと思います。


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