2014年7月28日月曜日

僕の中で認知行動療法ブームが再燃と話題に

タイトルそのままなんですが、最近、僕の中に『認知行動療法』ブームが再燃しています。

かつて、僕のカウンセリングのスタイルは認知行動療法をメインとしていた頃がありました。
それは、カウンセラーとして現場に出てすぐ、大きな壁にぶち当たっていた時。

「学んだカウンセリングでは十分な効果が出せない」

というのも、僕は『来談者中心療法』というスタイルのカウンセリングを主に学んだのですが、
それが現場では通用しなかったんですね。

おっと、違いますよ。勘違いしないでください。
カール・ロジャーズ(来談者中心療法を提唱した偉大な心理療法家です)の名誉のために言っておくと、
来談者中心療法がダメなわけではないですよ。
使う人間がダメだったんです。

来談者中心療法についてはまた別の機会にしっかりテーマにしたいと思いますのでここでは解説はしませんが、
とても効果的な療法だと感じます。実際、今の僕のカウンセリングの土台はロジャーズの教えを大切にしていますし。
しかし、学べば学ぶほど奥が深く、「極めた」なんて今でも口が裂けても言えません。
つまり、当時の僕は来談者中心療法の真価がわからないほどペーペーだったわけです。

そんな頃、出会ったのが『認知行動療法』。
驚きました。こんなに効果的なアプローチがあるのかと。

このブログは心理学やカウンセリングを学術的に解説する目的ではないので、
ざっくりと、乱暴に、おおまかに、大枠で、大雑把に、アバウトに簡単に説明すると。

人は、何か出来事に対して、その出来事の意味を『考え』ます。
むしろ、考えた結果、はじめてその出来事に意味が生まれるのです。
例えば、
道を歩いているとみんなが自分をジロジロと見てきます。
これは、出来事としてはただ単に、『人が自分を見ている』ということでしかないはずです。
しかし、その出来事の意味を人は『考え』ます。

「みんながジロジロ見るのは何か珍しいものを見つけた時だ」
「自分は見られるような珍しいことをしているのでは」
「珍しいことをしているなんて恥ずかしい」

そんな風に考えるから、「ジロジロみられて恥ずかしい」
そんな結果に至るわけです。

その『考える』という働きを『認知』と考えてもらうとわかりやすいですね。
その『認知』が自分にとって生活に支障をきたすようなものであるなら、違う『認知』を持とうというのが認知行動療法。

「ジロジロ見るのは僕がかっこいいからみんな羨ましくてみているんだ」
そんな風に考えられれば、
ほらもう恥ずかしくないわけです。

専門家の方が見たら怒られそうな、ものすごーーく簡略化しましたが、
まぁそんな感じです。

一言で言えば、
考え方や、ものの捉え方を変えることで、出来事をポジティブに解釈できるようになろう。
そんな感じと思っていただければいいです。

その認知行動療法、これが現場では実に使いやすいんですね。
うつや不安障害などに効果的ということで、
実際、数ある心理療法の中で唯一、保険診療適用もされています。

さて話を戻すと、
僕は自分の学んできたカウンセリングに限界を感じ、この認知行動療法に出会ったと。
しかし、それも一時期。
ここ数年では、また別の療法をメインにしており、あまり行っていなかったのですが、
先日あるケースの中で、求められて認知行動療法を行いました。
その時に、ふと思ったのです。

「今の自分のスタイルに改めて認知行動療法を平行して取り入れたら、すごく効果的なアプローチになるのでは?」

おそらく、以前にハマった時より自分のカウンセラーとしての力は上がっていると思います。
ならば今なら、あの頃より効果的に使えるのではないかと。

経験を積めば積むほど、学べば学ぶほど進化していく自分のカウンセリング。
また新しい扉が開きそうでワクワクしています。