2015年10月21日水曜日

文化の違う土地で生きるということ ~海外で活躍する日本人~

 

このビデオクリップは、鈴木恵里さんの「Sayonara Tokyo」という曲。
映画「Радуга после дождя(ラドゥガ•ポスレ•ダジジャー/雨上がりの虹」のテーマソングです。

彼女、現在は旧ソビエト連邦のキルギスに住んでおられて、音楽活動をはじめ、日本とキルギスの交流に意欲的に活躍されています。
そんな鈴木恵里さんは日本ではスケート関係の仕事もされていて、今年の国際大会では場内アナウンスも勤められるそうです。

彼女と知り合ったのは私が東京にいた頃なので、もう10年来の知り合いということになります。
今でもたまにお話しする機会があるのですが、彼女は積極的な行動力とそれに見合う努力を真摯にされる方で、日本や海外で夢を叶えている人間的にとても魅力的な方です。

彼女のように、海外で活躍する日本人というのは最近特に取り上げられているように思います。テレビ番組などでもうそういったものありますよね。
国際化、というのでしょうか。日本のように他国との交流が地理的に制限される土壌では、海を渡って活躍する日本人というのは無条件に賞賛を感じます。

私などは、数年前に初めて海外を経験してやっとその魅力を実感したような、精神的インドアなタイプの人間ですので特にそういった人たちに対しては尊敬に近いものを感じます。

国が違えば文化が違います。そうなると常識すら違ってきます。
少し前にこのブログでも、名古屋の文化について少し触れましたが、同じ国の中でも文化に違いがあるのですから国が変わればその違いは更に大きなものとなるでしょう。

そこで必要なのは、コミュニケーション力。
しかも、言葉のテクニックなど小手先のものでなく、もっと根本的な『人と関わる力』。

そこに必要なのは、『柔軟に受け入れる姿勢』なのだと思います。
自分の持つ常識や価値観をしっかりと持ちつつも、相手のそれも拒絶することなく理解しようとする。

自分と人が違うのなんて当たり前です。
歌の歌詞だってありましたね。
「育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めない」って。
その違いを認めたうえで、相手を尊重して受け入れる。

紹介した鈴木絵里さんも、確かに話していても自分の意見をしっかり持ちつつも、人の意見も頭から否定するようなことをしない、話していても気持ちの良いコミュニケーションをとってくれる方です。

そんなコミュニケーションが実現できる為には、まず自分というものを見つめ、自分自身を受け入れることが求められるのだと、私はそう思います。

でもコミュニケーション手段として語学は大切。英語の勉強がんばるぞ。たるみでした。